〔人物〕 明治39年9月10日、佐久間常松、ミノの二男として土湯下ノ町に生まれた。父常松は湊屋佐久間浅之助の三男、浅之助ゆずりのデコをよく描き、凧絵も得意であった。湊屋離散とともに明治39年11月北海道開拓民として家族を… 続きを読む
西山憲一
〔人物〕 大正9年6月13日福島県土湯温泉木地業西山勝次・キクの三男に生まれる。昭和10年高等小学校卒業後、父勝次について木地を修業、こけしの製作は戦後の昭和22年頃より行うようになった。名前は〈鴻〉の時代より知られてい… 続きを読む
小林清次郎
〔人物〕 大正7年7月14日小林吉三郎二男として山形市旅籠町の小林倉治一族の家で生まれた。生後間もなく吉三郎一家は鍛冶町にあった佐藤小治郎(小林倉吉の弟子)の家を借りて独立したので、清次郎は鍛冶町の家で成長した。昭和5年… 続きを読む
会田栄治
〔人物〕 昭和4年10月9日、表具師会田清左ヱ門長男として山形県天童市久野本に生まる〈こけし辞典〉。 隣は平塚安兵衛・斜め前は神尾長八の木地工場があった。 祖父会田清五郎は日本画家で田野耕源清信と号した〈山形のこけし〉。… 続きを読む
阿部勝英
〔人物〕 大正13年2月27日、福島県松川町水原字脇ノ久保43に生まる。農業茂木勝平・ハンの三男。昭和13年3月水原尋常高等小学校卒業。埼玉県川口市領家町の川口化学工業㈱に入社、20年2月満州牡丹江145部隊技術兵として… 続きを読む
丹野勝次
明治25年熊本県出身。青森工業高校卒業後丹野家へ夫婦養子となる(妻女は青森県出身)。大正12年鳴子の木地講習所の講師として秋田県から転任、大沼新兵衛が助手としてついた。その後鳴子の木地講習所が廃止となり仙台の木地講習所に… 続きを読む
大沼竹雄
〔人物〕 明治33年6月17日、宮城県玉造郡鳴子の大沼浅吉・せいの次男に生まれる。子供の頃から祖父岩太郎、父浅吉の仕事を見ながら木地挽きを覚えた。父浅吉はこけしの描彩が不得手であったので、こけしは祖父岩太郎に習った。大正… 続きを読む
奥山安治
〔人物〕文久3年4月13日、山形県西村山郡谷地町甲七五番地の大工奥山養吉の二男に生まれた。寺子屋で菊田大全に学んだ。明治11年ころ山形市十日町の小林倉治の弟子となり、木地を修業した。神尾長三郎は兄弟子、鈴木米太郎は弟弟子… 続きを読む
田中重吉
大鰐の木地屋。明治15年頃の生まれ。父は田中忠太郎。弘前工業高校を卒業。俗称じゅうまん。 田中家は澤田、間宮本家・分家、村井、油川、横山とならぶ大鰐の古くからの木地師、大鰐七軒という。 こけしも挽いたというが作品は未確認… 続きを読む
志田清次郎
〔人物〕 昭和13年6月6日山形県西村山郡西川町大字大井沢の農業志田中司・ソメエの長男に生まれる。昭和26年小学校卒業後叔父の志田五郎八について木地を修業した。昭和28年頃五郎八が木地を廃業すると、清次郎も農業を主とし、… 続きを読む