タグ別アーカイブ: 嶋津彦三郎

嶋津幸子

〔人物〕昭和9年9月18日、青森県弘前市薬師堂の農業白鳥半三郎、ハチイの長女に生まれた。名前の幸子は「こうこ」と読む。 昭和32年4月に大鰐の木地業嶋津誠一と結婚した。 結婚後まもなく目屋人形(西目屋村で土産物として作ら… 続きを読む

嶋津洋子

〔人物〕昭和14年7月18日に青森県大鰐の木地師嶋津彦三郎の娘として生まれた。嶋津誠一は兄である。 彦三郎、誠一名義のこけしの描彩を行っていた。 その後、結婚して水木姓にかわり、兵庫県宝塚市南口に移った。 〔作品〕下掲の… 続きを読む

嶋津彦三郎

〔人物〕 明治30年3月1日、嶋津彦蔵二男として青森県南津軽郡山形村温湯字新道に生まれる。  大正3、4年、兄彦作と共に大鰐町に移り、木地業田中重吉宅に兄弟とも世話になった。津軽では木地業は一子相伝の決まりがあり、兄彦作… 続きを読む

三上文蔵

〔人物〕 明治43年3月27日、青森県中津軽郡西目屋村砂子瀬の三上作太郎の長男に生まれる。脚が悪かったので小学校卒業後、大鰐へ出て島津彦三郎の弟子となり木地を修業した。弟子入りの年代については、兄弟子の松岡新太郎が大正1… 続きを読む

長谷川辰雄

〔人物〕明治38年1月14日、青森県南津軽郡山形村大字板留字宮下の木地師佐々木金助の三男として生まれる。明治39年、養子に行って大鰐の農業長谷川甚太郎の弟となり、甚助と呼ばれるようになった。そのためこけし収集家橘文策が注… 続きを読む

佐々木金一郎

〔人物〕大正7年5月13日、佐々木金次郎長男として青森県南津軽郡山形村大字板留字宮下に生まる。昭和2年10歳のとき、大鰐に他出して仕事をしていた父金次郎に招かれ一家で大鰐に移った。昭和七年高等小学校卒業後、同8年より父金… 続きを読む

入間誠吾

〔人物〕 昭和9年10月30日、青森県南津軽郡大鰐町大字蔵館字村岡に生まれる。実家は大工業。嶋津誠一の弟と学校友だちだった縁から、昭和25年に大鰐町大字蔵館字宮本の嶋津木工所へ入所し、嶋津彦三郎の弟子となった。こま、ズグ… 続きを読む

嶋津誠

〔人物〕昭和36年6月22日、青森県大鰐町の木地業嶋津誠一、幸子(こうこ)の長男に生まれた。昭和55年3月弘前東奥義塾高校を卒業し、弘前日産自動車に入社した。 昭和64年より父の誠一について木地の技術を習得し、父の経営す… 続きを読む

嶋津誠一

〔人物〕 昭和5年11月4日、青森県南津軽郡蔵舘町の木地業嶋津彦三郎の長男として生まれる。署名に島津と書くことも多いが、嶋津が正しい。昭和22年3月弘前工業高校卒業後、父の彦三郎について木地の修業を始めた。主にづぐり(雪… 続きを読む

新山久一

〔人物〕 大正6年2月10日、青森市大野長嶋の新山沢次郎長男としてに生まれる。昭和6年高等小学校を卒業後、同7年大鰐町蔵館の佐々本金次郎に弟子入りし、同12年に年期明けした。弟子時代にこけしを挽いたことはあるが、描彩はし… 続きを読む