
〔人物〕 昭和9年3月7日、白石市越河の船員安藤勇一の長男に生まれる。学校卒業後、白石にて新型こけしの業者について技術を習得、新型木地の製作を行った。昭和26年より遠刈田の大沼昇治とともに、越河に木工所を設立し、二段ベ… 続きを読む
〔人物〕 昭和9年3月7日、白石市越河の船員安藤勇一の長男に生まれる。学校卒業後、白石にて新型こけしの業者について技術を習得、新型木地の製作を行った。昭和26年より遠刈田の大沼昇治とともに、越河に木工所を設立し、二段ベ… 続きを読む
〔人物〕 文久元年12月8日、岩手県稗貫郡糠塚村に生まれる。長兄は高橋市太郎。明治15年12月22歳で、稗貫郡湯本村大字湯本(五郎城)の農業・木地業藤原千太郎の長女チヱと結婚して、千太郎・ユミ夫婦の婿養子となった。千太郎… 続きを読む
〔人物〕 昭和26年12月29日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷、高勘のこけし工人高橋盛雄、達子の二男に生まれる。高亀の高橋武俊とは同学年であった。 昭和45年20歳より、父盛雄について木地の修業を開始し、こけしの製作を始めた… 続きを読む
〔人物〕昭和9年7月10日に生まれた。土湯系の佐藤俊昭と親しく、昭和55年ごろ俊昭からの勧めで手解きを受け、俊昭の木地に描彩のみ施した。 長く冠婚葬祭業に就いていたが、毎月佐藤俊昭の元へ互助会会費を集金に行く傍ら、こけし… 続きを読む
〔人物〕 昭和56年5月23日、岩手県盛岡市北夕顔瀬町の木工芸製造・木地業田山和文の長女に生まれる。 盛岡工業高校デザイン科に入学、平成10年高校2年より父の木地への絵付けを始め、平成11年高校3年より木地の挽き方を父に… 続きを読む
〔人物〕 明治33年8月28日、宮城県白石市新町の絹糸商鎌田卯作の三男に生まれた。大正3年5月15歳で弥治郎で佐藤勘内の弟子となって木地を習得した。また大正6年頃には、勘内が宮城県の補助金により行われた木地講習会の講師… 続きを読む
〔人物〕 安政4年4月3日、陸中国磐井郡山目村120番宮本惣内、里さの二男に生まれる。長兄は惣蔵。祖父は宮本惣三郎、母里さは志田郡田尻村の斎藤新八長女。深沢要の宮本永吉からの聞書によると、「木地は、初代が惣助、二代が惣七… 続きを読む
〔人物〕岩手県岩手郡西根町のきなきな作家。盛岡の松田弘次が作っていたきなきなを見取りで写して製作したらしい。松田弘次自身は渡部信夫のことを知らないと言っていた。詳細は不明。 〔作品〕 昭和55年頃、岩手山ユ… 続きを読む
みやぎ蔵王こけし館は、宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉新地字西裏山36-135にあり、正式名称を「蔵王町伝統産業会館」という。 「伝統工芸品に関する技術技法の保存・研修・実演指導、宮城県内に有する伝統的工芸品の展示を筆頭に… 続きを読む
〔人物〕 明治14年岩手県江刺郡岩谷堂町に生まれる。木地は、明治30年17歳の頃、工場で働きながら習得した。それゆえ師匠というものはいないが宮城県白石町生まれの佐藤熊治という工人から最も多く指導を受けたという(西田峯吉… 続きを読む