高野辰治郎

高野辰治郎(たかのたつじろう:1904~)

系統:弥治郎系

師匠:佐藤勘内

弟子:

〔人物〕 明治37年6月26日、宮城県白石長袋に生まれる。大正6年と7年に宮城県の助成金を得て佐藤勘内が鎌先温泉で木地講習会を開催した。高野辰治郎はこのときの弟子の一人である。辰治郎のほかに鎌田文市、佐藤雅雄、高梨小藤治(文献には寿治として紹介されたこともあったが小藤治が正しい)、小原軍吉(通称軍記)が弟子となって修業した。
高野辰治郎は鎌先で木地の技術を習得したあと福島県飯坂温泉鯖湖の渡辺角治の工房の職人となり木地を挽いた。喜平に木地を教えたりもした。鯖湖の渡辺キンの描く面描のこけしに時に弥治郎風の形態があるのは辰次郎の木地に描いたことによる。また辰治郎自身の描彩のこけしも存在し、大正期の古い蒐集家のコレクション中に散見する。 大正末年に飯坂から白石に帰り、短ヶ町で所帯を持った。ここでは盆類を主に挽いた。また日月ボールや独楽等のおもちゃを作って近くの三文店で売った。昭和10年頃まで木地屋をやっていたが、売れなくなったので大工に転業した。昭和40年代に中風になり寝たきりの生活を送るようになったという。仙台の高橋五郎が、辰治郎を尋ねて経歴を確認し、天江コレクションにある鯖湖のキンが描いた弥治郎風木地のこけしは辰治郎が挽いたことを確認した。没年は不明である。  

〔作品〕 昭和16年に有坂與太郎が出版した〈郷土玩具展望・中巻〉図版は写真解説に一部混乱が見られる。図版は正しくは右端から西山徳二、小椋千代五郎、大内今朝吉、岩本善吉、佐藤喜一、高野辰治郎である。それぞれのこけし製作年代は大正期から昭和10年代までかなり幅がある。
左端の高野辰治郎を飯坂・渡辺角治として紹介しているのは、角治の店で求めたからであろう。べんた人形の様に手足をつけた不思議なこけしである。胴には三段の菱菊、頭部は弥治郎風のベレー模様が描かれている。


有坂與太郎著 郷土玩具展望 中巻 昭和16年4月20日発行

下掲は弥治郎風ベレーの頭部に花模様の胴を付けている。花は菱菊であるがその花の茎や葉は、鯖湖の渡辺キン描くあやめの様式に似る。鯖湖のあやめ模様は、佐藤勘内等のこうした弥治郎のあやめ模様を写したものだったと思われる。


〔 13.5cm(大正末期)(中根巌)〕

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〔 15.2cm(大正末期)(高橋五郎)〕 天江コレクション 

下掲写真は天江コレクションの渡辺キン描彩のこけしであるが、木地は高野辰治郎である。佐藤勘内の形態を正確に維持した木地の形となっている。胴模様の花を描いたのはキンか辰治郎か判然としない。
鯖湖では渡辺角治や工人たちの挽き貯めた木地に、注文があるとキンが描いていたというから辰治郎の木地のものも混じっていた。


〔 32.4cm(大正末期)(高橋五郎)〕 面描:渡辺キン 木地:高野辰治郎

勘内の弟子として修業し、系統の違う鯖湖で職人として働いた。興味深い形態のこけしを製作したが確認される作品数は多くない。

〔伝統〕弥治郎系栄治系列 土湯鯖湖と混交
後継者はいないが、国分栄一が復元を行ったことがある。

〔参考〕

  • 高橋五郎:佐藤治平と新地の木地屋たち:白石こけし会(昭和54年10月)

 

 

 

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