遊佐幸太郎

明治14年1月15日、鳴子の遊佐善六の長男に生まれる。木地業に就いたがその師匠は詳らかではない。父の遊佐善六は沢ロ吾左衛門文書に塗師として記載されている。沢口悟一の地図では鳴子の通りの東方、山側の角に善六の家がある。善六が塗師であったから、幸太郎は横木を中心とした塗下木地であったかもしれない。
明治43年4月1日より大正2年10月20日まで、秋保村立職工学校の木地の講師をしたことで知られる。
山尾武治、後藤熊太郎、秋保の佐藤文六などがこの秋保村立職工学校で学んだ。
また鳴子の佐藤賀宏の義父であった佐藤與作は秋保の出身でこの職工学校で幸太郎について木地を学んでいる。山尾武治も幸太郎を頼って鳴子に来たことがあるという。
幸太郎自身は木地は挽いたが、こけしは作らなかったという。ただ後藤熊太郎のこけしに鳴子式の肩を持つものがあり、何らかの影響は与えたかもしれない。鳴子の木地組合長を務めたことがある。没年は不明である。

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