カテゴリー別アーカイブ: 津軽系

盛美津雄

〔人物〕 昭和30年1月12日青森県黒石市温湯の木地業盛眞一・初江の三男に生まれる。大東文化大学卒業後祖父盛秀太郎、父眞一について木地を学び、昭和52年10月より美津雄名義のこけしを発表した。製作数は発表時より少なかった… 続きを読む

斎藤竹司

〔人物〕昭和10年、青森県津軽郡山形村温湯の斎藤幸兵衛の五番目の男子にうまれた。幸兵衛の第一子峯一郎は養子であり、上三人の兄は生後間もなく亡くなっているので、実質的に長男はであった。青森市で海産物加工販売業を営んでいたが… 続きを読む

本田功

〔人物〕昭和16年6月2日、北海道の国鉄職員本田由蔵の五男に生まれる。 母は十和田湖休屋の高瀬善治の妻スエの妹にあたるので、功と高瀬時男とは従兄弟同士になる。昭和31年16歳での高瀬善治に入門、善治の木地を挽いた。善治の… 続きを読む

新山久一

〔人物〕 大正6年2月10日、青森市大野長嶋の新山沢次郎長男としてに生まれる。昭和6年高等小学校を卒業後、同7年大鰐町蔵館の佐々本金次郎に弟子入りし、同12年に年期明けした。弟子時代にこけしを挽いたことはあるが、描彩はし… 続きを読む

小島俊幸

〔人物〕 昭和24年5月26日北海道名寄市の工夫小島正一・京子の長男に生まれる。昭和38年小学校卒業とともに青森県温湯温泉の佐藤善二のもとに移り、黒石市の東英中学校に通った。善二は東英中学でこけし教室を開き、希望の生徒に… 続きを読む

田中重吉

大鰐の木地屋。明治15年頃の生まれ。父は田中忠太郎。弘前工業高校を卒業。俗称じゅうまん。 田中家は澤田、間宮本家・分家、村井、油川、横山とならぶ大鰐の古くからの木地師、大鰐七軒という。 こけしも挽いたというが作品は未確認… 続きを読む

本間直子

本間直子・斎藤幸兵衛型達磨絵

〔人物〕  昭和36年9月23日、青森県黒石市温湯の農業本間博の三女に生まれる。 昭和55年4月1日より佐藤善二について木地修業、昭和58年よりこけし製作を開始した。6年間学んだ後、昭和60年7月1日に独立した。 結婚し… 続きを読む

松岡新太郎

〔人物〕明治38年3月3日に青森県大鰐町蔵館の農家に生まれる。大正9年5月大鰐の嶋津彦三郎に弟子入りし、大正13年まで5年間の年季奉公した。 新太郎が嶋津の木工所に入った頃、田中重吉もここで仕事をしていた。重吉は弘前工業… 続きを読む

今晃

〔人物〕昭和28年4月23日 秋田県大館市の公務員今一郎の長男に生まれる。高校時代までは陸上競技をやっており、図画工作は得意ではなかった。昭和43年高校3年の9月に、「大湯のこけしの継承者がいない」という新聞記事を読んで… 続きを読む

山谷レイ

〔人物〕 昭和11年12月13日生まれ。昭和15年、母きよは娘レイをつれて山谷権三郎の後妻となった。レイは山谷権三郎の長男清と結婚。 昭和58年1月に夫の山谷清がなくなったので、山谷のこけしの型を継承すべく母の山谷きよに… 続きを読む