〔人物〕大正15年11月20日、宮城県宮城郡大倉村大手門の農業早坂喜平・よし の長男に生まれる。4歳の時、父が事業に失敗したため一家で北海道に渡り、各地を転々としたが、昭和16年故郷の大倉村に戻った。昭和25年25歳の時… 続きを読む
早坂利成
〔人物〕 昭和35年7月27日宮城県鳴子町木地業早坂隆・せつ子の長男に生まれる。早坂の家は、高祖父民治(みんじ)、曽祖父早坂繁蔵、祖父民治(たみじ)と代々続く加美郡田代の横木挽き木地師の家柄である。俊成は昭和54年20歳… 続きを読む
早坂政弘
〔人物〕 昭和36年4月15日、宮城県宮城郡宮城町大倉屋敷平に林業梅津政蔵、みや子の次男として生まれる。12歳のとき父が亡くなり、また母も身体が丈夫ではなかったので、手に職をつけることを考え 中学校を卒業後昭和51年より… 続きを読む
林重吉
〔人物〕 大正9年5月13日山形県米沢市の工業、林重次郎長男として生まれた。尋常小学校卒業後の昭和7年より市内春日町で木工所を経営していた岐阜県出身の石井酒(みき)に弟子入りし木地挽を習った。年期明け後も石井木工所で機業… 続きを読む
林若樹
明治時代から昭和にかけて、本、古銭、考古物などの文物の蒐集をおこなった。また、山本東次郎を師として大蔵流の狂言を稽古し、狂歌・俳諧・書画をたしなむなど趣味人でもあった。 彼の蒐集品の中に明治期のこけしが数本あって、今はい… 続きを読む
原野光璋
〔人物〕昭和17年2月8日、東京の会社員原野光幸の長男に生まれた。昭和38年より宮城県鳴子の早坂隆に師事して木地を学んだ。昭和58年頃より自分の名義でこけしを発表するようになった。 〔作品〕早坂隆よりの伝承であるが、鳴子… 続きを読む
半澤正則
〔人物〕昭和29年7月25日に会社員の半澤五郎、アサの長男として郡山市中田町高倉字宮ノ脇に生まれる。昭和48年3月に日大東北工業高等学校機械科を卒業し、就職した。昭和52年3月に星いよ子と結婚した。 日東グラスファイバー… 続きを読む
疋田重安
宮城県玉造郡鳴子の岡崎斉の弟子。深沢要により〈こけしの追求〉で名前が紹介された。昭和8年春、14歳ころ高等小学校1年を終えて、斉の弟子に入った。父は鉱夫で、兄弟はたくさんいた。重安は腕はきわめて上手だったという。弟の重信… 続きを読む
平井盛
〔人物〕明治32年頃、福島県耶麻郡猪苗代町中ノ沢温泉の宮森食堂の主人宮森正の甥に生まれた。戸籍表記は平井栄、過去のこけし文献で平井盛と表記された。読みは「さかえ」が正しいらしい。特に定職にもつかず、宮森食堂で居候として暮… 続きを読む
平賀謙一
〔人物〕 昭和16年9月14日宮城県作並の木地業平賀謙次郎の長男に生まれる。昭和37年3月仙台工業高校土木科を卒業し、東京に出てしばらく働いたが、昭和42年4月に作並に戻り、父謙次郎について木地の修業を始めた。昭和43年… 続きを読む