白畑幸作

〔人物〕大正13年4月12日、酒田市外野町の白畑重治、芳の四男に生まれた。白畑與太郎は長兄。高等小学校を卒業後、東北機械(現在の東北電気鉄工㈱)に勤め、親会社鉄興社の機械工養成所で訓練を受けた。昭和19年ころ、神奈川県久… 続きを読む

白畑重治

〔人物〕明治21年1月28日、酒田市下中町の白畑與惣吉、竹代の長男に生まれた。明治34年ころ、高橋直広の弟子となって木地を修業した。明治45年、斎藤峯吉長女芳と結婚、與太郎、陽次、誠吉、幸作の四男をもうけた。 大正2年に… 続きを読む

白畑よし

〔人物〕大正元年12月2日、斉藤真太郎、菊の四女としての酒田に生まれた。昭和元年に山形県酒田市の白畑與太郎と結婚し、夫與太郎や舅重治の木地にこけしの描彩をするようになった。與太郎名義のこけしのかなりの作品は妻女よしの描彩… 続きを読む

白畑與太郎

〔人物〕明治45年4月10日、酒田市外野町の木地業白畑重治、芳の長男に生まれた。木地は父に習ったほか、昭和12年ころ小田原の福井木地屋で約3ヵ月修業した。このころより動力で木地を挽き、ロクロとダライバンを併用した。以後、… 続きを読む

尻替玉

馬具の一つ。通称、管(くだ)と言って馬の尻尾の捌きを良くするために使われた。尻がい玉ともいう。馬の尾の下を通して両端を鞍に付ける。 尻替玉作りは、ロクロの工法と刃物の扱いの習得になるので、戦前には鳴子はじめ各産地で、弟子… 続きを読む

陳野原和紀

〔人物〕 昭和4年3月11日、林業陳野原健蔵、フジヱの長男として土湯に生まれる。弟の陳野原幸紀は健蔵五男である。 昭和18年3月土湯尋常高等小学校卒業後は山仕事に従事、その後鶴見の工場に勤務。 昭和39年4月土湯に帰り、… 続きを読む

陳野原幸紀

〔人物〕 昭和22年12月5日、福島県土湯の農業陳野原健蔵・フジヱの五男に生まれる。長兄は和紀。以前から兄和紀のこけし製作を身近に見ていたので、こけしには興味があったが、昭和46年スキーで足を骨折したのをきっかけに、兄和… 続きを読む

須貝国男

〔人物〕 昭和17年3月29日、宮城県玉造郡鳴子町鬼首蟹沢の農業須貝養造の長男に生まれた。昭和32年4月に鳴子の高亀高橋武蔵の家に弟子入りし、技術は主に高橋武男、高橋正吾の指導により習得した。専ら職人として高亀て売られる… 続きを読む

須賀恒一

〔人物〕大正8年9月28日、青根温泉の商業須賀恒雄、いさおの長男に生まれる。母のいさおは青根のこけし作者佐藤貢の姉にあたる。昭和8年高等小学校を卒業後、青根で土産物店の経営に就いた。 昭和17年に入隊、戦後昭和20年に帰… 続きを読む

菅原修

菅原修

〔人物〕   昭和27年10月18日、農業・菅原新一郎の三男として生まれる。 昭和46年12月神奈川県鎌倉市の大石製作所で大石辰雄のもと木地修業を始め、その後秋田県本荘市(現・由利本荘市)に移転。昭和… 続きを読む