佐藤常治

江戸末期から明治初めにかけて活躍した刈田郡八宮(現・弥治郎)の木地屋。天保3年の生まれ。父の佐藤永助より木地を習ったと思われる。父永助は文久元年7月9日になくなり、常治が家督を継いだ。 飯坂に移った佐藤栄治(毛利栄治)の… 続きを読む

佐藤澄子

〔人物〕大正15年1月30日に宮城園柴田郡柴田町槻木に燃料販売業の大宮正吉、ゐなの7人兄弟の長女として生まれた。小学生の時より学業優秀で、大河原の女学校を卒業してから名取市高舘にて小学校の教員を務めた。父の勧めで昭和26… 続きを読む

佐久間源六

明治16年9月26日福島県信夫郡土湯村字下ノ町の木地業佐久間浅之助、ノエの四男に生まれた。父の浅之助について木地を修業した。 こけしも挽いたといわれる。身体が弱く、明治42年8月27歳のとき下の湯で卒中のため亡くなった。… 続きを読む

佐久間俊雄

〔人物〕昭和23年2月16日、福島県福島市早稲町の木地業佐久間芳雄の長男に生まれた。昭和50年28歳より父の芳雄について木地を習得し、湊屋のこけしを継承してその製作を始めた。 昭和51年12月の〈ばんかき・22〉により俊… 続きを読む

井上周治

〔人物〕   大正12年2月4日、秋田県雄勝郡川連の井上虎二郎(農業)の長男として生まれる。代々家名は名兵衛であり、周治も名兵衛を名乗ることがある。 現住所は秋田県湯沢市三梨町下宿。 周治は農業の閑散… 続きを読む

水戸寛

〔人物〕昭和8年1月17日、京都の京染商水戸佐武郎の長男に生まれる。昭和19年、天童市田鶴町に移り、同23年高等小学校を卒業後、土産物店を始めたが、同時に山寺の叔父石山三四郎について木地を修業した。昭和28年、年期明け後… 続きを読む

高橋弥太郎

鳴子の人。明治初年、鳴子高橋直蔵の弟子となり木地を修業した。後に秋田県本荘に移り独立開業した。本荘時代の弟子では国松美登里が知られている。弥太郎は後年北海道へ渡ったというが経歴の詳細は不明である。やがて国松美登里の弟子河… 続きを読む

松沢正麿

〔人物〕昭和13年8月13日、宮城県刈田郡七ヶ宿町字明神前に生まれた。昭和29年中学校を卒業後、小原の本田亀寿について木地を修行した。亀寿の型を作っていたが、昭和41年鹿間時夫の勧めにより鶴松型を復元して一定の成果を出し… 続きを読む

毛利昭一

〔人物〕昭和29年8月5日、青森県黒石市温湯温泉の木地業毛利専蔵、たまの四男に生まれた。父専蔵について木地を習得し、昭和46年18歳の時から自分名義のこけしを出すようになった。   〔作品〕父専蔵の型を継承した… 続きを読む

五十嵐勇

〔人物〕昭和10年6月15日、鳴子の五十嵐丑蔵、ちよの長男に生まる。昭和24年鳴子中学校を卒業後、昭和25年より36年まで桜井昭二の弟子となり木地修業。遊佐泰雄は弟弟子。この間、昭和33年には一年間仙台へ出て竪口クロを学… 続きを読む