猪狩勝彦

〔人物〕大正7年11月15日。福島県平の猪狩清大の次男に生まれる。佐藤誠の弟子となった猪狩庄平は長兄である。昭和24年より白石で木地を習得して、新型風のこけしを製作した。 遠刈田の佐藤文助とは木地の関係で縁故があり、昭和… 続きを読む

佐藤雅弘

〔人物〕 昭和12年3月1日宮城県刈田郡福岡村字鎌先(現在の白石市鎌先温泉)にて佐藤雅雄の三男(長男:直樹・次男:博・弟に光雄、善幸がいる)として生まれる。昭和28年直樹より本格的に木地挽きの指導を受ける,この頃直樹の工… 続きを読む

坂本恭啓

〔人物〕昭和60年3月9日、福島県双葉郡富岡町に生まれる。平成19年3月に苫小牧駒沢大学国際文化学部国際コミュニケーション学科(現在は国際文化学科)を卒業する。若い頃よりアイヌ文化や蝦夷地の勉強をしたかったので、この学校… 続きを読む

斎藤良輔

〔人物〕 大正14年6月12日、福島県会津若松市栄町の商業斎藤栄作六男として生まれる。昭和15年尋常小学校卒業後は会津若松市内で働いたが17年に東京の軍需工場に、その後工場疎開で福井へ向かう。戦後は会津若松へ戻りアルマイ… 続きを読む

佐藤常治

江戸末期から明治初めにかけて活躍した刈田郡八宮(現・弥治郎)の木地屋。天保3年の生まれ。父の佐藤永助より木地を習ったと思われる。父永助は文久元年7月9日になくなり、常治が家督を継いだ。 飯坂に移った佐藤栄治(毛利栄治)の… 続きを読む

天江富弥

大正期から昭和期にこけしを体系的に収集した。昭和3年に〈こけし這子の話〉を刊行し、こけし、作者、産地、その系統というその後のこけし蒐集、研究活動の基本となる四要素とその枠組み(Framework)を規定して議論した。 〔… 続きを読む

松本鶴治

〔人物〕大正11年3月11日、舞鶴の松本宗治の次男として生まれた。日本画を伊藤清三郎より習い、戦後岩手県花巻に移住して、昭和26年より木地挽きを習得した。やがて盛岡の北本武のこけしの木地を挽くようになった。また北本武のこ… 続きを読む

川越謙作

〔人物〕  明治44年1月19日、青森県中津軽郡藤代町(現弘前市)大字藤代字川面125の農業川越忠吉、たみの五男に生まる。少年のころより絵が上手だった。村立致遠小学校、中津軽郡玉成高等小学校で学び、大正15年4月1日、1… 続きを読む

入間誠吾

〔人物〕 昭和9年10月30日、青森県南津軽郡大鰐町大字蔵館字村岡に生まれる。実家は大工業。嶋津誠一の弟と学校友だちだった縁から、昭和25年に大鰐町大字蔵館字宮本の嶋津木工所へ入所し、嶋津彦三郎の弟子となった。こま、ズグ… 続きを読む

小林順子

〔人物〕昭和33年9月3日、兵庫県明石の工員中川昇の二女に生まれた。昭和57年に岩手県和賀郡湯田の小林元と結婚した。小林元はこけし工人小林定雄、輝子夫妻の長男である。元は一時こけしを作った後、製作を中止していたが、昭和5… 続きを読む