
〔人物〕大正9年1月2日、宮城県古川市東大崎字新田大西7-4の熊谷平市郎、やえのの長男に生まれる。昭和8年4月東大崎高等小学校を卒業、応召となり終戦後昭和21年復員した。昭和23年3月よりこけしの描彩のみ行なう。昭和35… 続きを読む
〔人物〕大正9年1月2日、宮城県古川市東大崎字新田大西7-4の熊谷平市郎、やえのの長男に生まれる。昭和8年4月東大崎高等小学校を卒業、応召となり終戦後昭和21年復員した。昭和23年3月よりこけしの描彩のみ行なう。昭和35… 続きを読む
〔人物〕明治38年1月20日、宮城県弥治郎南69の木地業佐藤勘内、ふよの長男に生まれる。母ふよは白石の高子仁四郎の三女である。弟に稔、次雄、妹に一枝、すえ、なか等がいた。父勘内は明治40年7月に分家、一家は弥治郎北19に… 続きを読む
鳴子の伝大沼又五郎や、高橋勘治のこけしの両鬢の形状を、蒐集家は俗に角髪(みずら)と呼んでいる。 鬢は上方で紐などによって結ばれた様に描かれる。 伝大沼又五郎の頭部(所謂角髪) 高橋勘治(日本こけし館蔵)の頭部(所謂角髪)… 続きを読む
〔人物〕 大正14年8月15日遠刈田温泉の木地業、佐藤豊治五男として生まれる。昭和15年遠刈田尋常小学校卒業後、仙南交通の事務員となり、昭和18年4月に志願兵として横須賀第二海兵団に入った。昭和20年8月宮城県多賀城の海… 続きを読む
宮城県玉造郡鳴子の大沼又五郎の二番目の妻。大沼又五郎は女房運が悪く、嘉永6年に最初の妻ちやを亡くしたあとなつを後妻とした。 なつは鳴子の高橋次左衛門の長女。又五郎と先妻ちやとの間にはの間にせい、りうの二女がいて、せいに高… 続きを読む
〔人物〕昭和23年2月16日、福島県福島市早稲町の木地業佐久間芳雄の長男に生まれた。昭和50年28歳より父の芳雄について木地を習得し、湊屋のこけしを継承してその製作を始めた。 昭和51年12月の〈ばんかき・22〉により俊… 続きを読む
〔人物〕 昭和17年3月29日、宮城県玉造郡鳴子町鬼首蟹沢の農業須貝養造の長男に生まれた。昭和32年4月に鳴子の高亀高橋武蔵の家に弟子入りし、技術は主に高橋武男、高橋正吾の指導により習得した。専ら職人として高亀て売られる… 続きを読む
〔人物〕明治40年7月30日、青森県中津軽郡藤代字川面125に生まる。父忠吉は農業。大正9年4月14歳で弘前市一番町の箱根木地師加藤勘三郎の弟子となり、木地を習得した。師匠勘三郎が他界した翌年の大正14年3月20日に鷹匠… 続きを読む
〔人物〕明治22年5月7日、秋田県雄勝郡駒形村字仙道に生まれた。13歳で川連の七山家に奉公に出たが、やがて技術を身に付けることを志すようになった。大正元年年7月、鳴子で木地修業をしていた同郷の高橋卯一を頼って鳴子に行き、… 続きを読む