
関西の趣味人たちのネットワークの一翼を担った人。こけし古品を扱った乙三洞(森田政信)は三好と交流があり、三好の死後その家作で開業していたことがあった。 釈瓢斎による三好米吉の似顔絵 釈瓢斎は戦前の大阪朝日新聞「天声人語… 続きを読む
関西の趣味人たちのネットワークの一翼を担った人。こけし古品を扱った乙三洞(森田政信)は三好と交流があり、三好の死後その家作で開業していたことがあった。 釈瓢斎による三好米吉の似顔絵 釈瓢斎は戦前の大阪朝日新聞「天声人語… 続きを読む
〔人物〕 明治28年(推定)栗原郡一迫町の農家に生まる。鳴子の高橋亀三郎の妻のつは鬼首の人だったが、長男武蔵が5歳のとき亡くなった。後妻に来たのが栗原郡一迫の人であったが、その縁で辰吉は明治40年13歳ころ鳴… 続きを読む
〔人物〕昭和23年5月1日、玉造郡鳴子温泉の土産物店経営大沼純の長男に生まれる。昭和46年大学卒業後会社員となった。昭和50年に会社を退職し、父の大沼純より木地挽きの指導を受け、昭和53年よりこけしを作り始めた。平成4年… 続きを読む
〔人物〕 明治29年11月28日、銀山温泉に生まれた。農業のかたわら製炭を本業としていたが、大正11年および13年のそれぞれ12月に、銀山で開催された山形県木地講習会において1ヶ月づつ講師の安藤齢太郎について… 続きを読む
〔人物〕 昭和4年4月11日、福島県郡山市西田町の農業三瓶今朝松の次男に生まれる。昭和46年頃より1年間中ノ沢の岩本芳蔵について木地を習い、その後中ノ沢で開業、芳蔵のこけしを継承し、製作を続けた。芳蔵には厳しく仕込まれて… 続きを読む
〔人物〕 昭和44年7月17日、佐藤英太郎、洋子の長男に生まれる。生まれた時に英太郎は日本鋼管に勤務していたので一家は神奈川県川崎市にいたが、間もなく家族で英太郎の故郷宮城県蔵王町遠刈田に帰った。 昭和56年頃、木地の練… 続きを読む
〔人物〕 大正9年6月13日福島県土湯温泉木地業西山勝次・キクの三男に生まれる。昭和10年高等小学校卒業後、父勝次について木地を修業、こけしの製作は戦後の昭和22年頃より行うようになった。名前は〈鴻〉の時代より知られてい… 続きを読む
〔人物〕 昭和9年10月30日、青森県南津軽郡大鰐町大字蔵館字村岡に生まれる。実家は大工業。嶋津誠一の弟と学校友だちだった縁から、昭和25年に大鰐町大字蔵館字宮本の嶋津木工所へ入所し、嶋津彦三郎の弟子となった。こま、ズグ… 続きを読む
徳右衛門の名前が出たのは〈鴻・3〉および〈こけし手帖・33〉で、いずれも山形小林倉治が木地を習った作並の師匠としてである。但しこの時、姓は岩松で岩松徳右衛門となっていた。 高橋五郎の追求で「萬挽物扣帳」(岩松直助文書)が… 続きを読む
[人物] 昭和50年4月16日宮城県名取郡秋保町湯元字薬師20の木地業佐藤円夫、茂子の長男として生まれる。平成6年3月宮城県立農業高校卒業後、㈱仙台紙器会社に入社した。間もなく、父円夫が仕事中に腰を痛めて約3ヵ月仕事が出… 続きを読む