〔人物〕 明治26年2月29日、江戸の木地師広井朝顕次男として東京市本所菊川町に生まれた。戸籍上は閏年を嫌って2月20日生まれとなっている。 広井家は諸家譜巻によれば嵯峨源氏渡辺氏の出で、渡辺姓であったが、後に広井姓に… 続きを読む
〔人物〕 明治26年2月29日、江戸の木地師広井朝顕次男として東京市本所菊川町に生まれた。戸籍上は閏年を嫌って2月20日生まれとなっている。 広井家は諸家譜巻によれば嵯峨源氏渡辺氏の出で、渡辺姓であったが、後に広井姓に… 続きを読む
大正から昭和にかけての京都の郷土史家。明治24年1月12日に生まれた。本名は田中俊次。父親は医師で、孤児院平安徳義会を開き、児童福祉事業の先駆者として、また社会事業家として知られる田中泰輔。緑紅は医学の道には進まず、京都… 続きを読む
〔人物〕昭和28年6月27日、宮城県白石市福岡村八宮弥治郎のこけし工人新山久志の五男に生まれる。新山久城、慶志は兄にあたる。高校卒業後運転手をしていたが26歳の時に帰郷して家業を継いだ。昭和57年より父の久志より木地の指… 続きを読む
〔人物〕 昭和16年9月14日宮城県作並の木地業平賀謙次郎の長男に生まれる。昭和37年3月仙台工業高校土木科を卒業し、東京に出てしばらく働いたが、昭和42年4月に作並に戻り、父謙次郎について木地の修業を始めた。昭和43年… 続きを読む
〔人物〕明治18年12月5日、岩手県稗貫郡湯口付下志沢の農業照井奥太郎の長男に生まれた。 明治21年、音治の父奥太郎は3歳の音治をつれて芸妓と駈け落ちし、宮城県青根温泉へ行って旅館佐藤仁右衛門の番頭となった〈こけし手帖・… 続きを読む
〔人物〕 昭和11年10月5日、薬局経営山谷繁太郎、チヨの四男として青森県黒石市温湯鶴泉に生まれる。黒石高等学校在学中に事情があり家を離れ、東京の友人を頼りに旋盤工等の仕事をした。その後独学で薬剤師の免許を取得して家業を… 続きを読む
〔人物〕明治38年3月7日、宮城県秋保湯元の山尾武四郎、えいの四女に生まれる。大正15年9月秋保のこけし工人菅原庄七と結婚、昭和12年に長男敏が誕生した。待望の一人息子であった。昭和45年66歳のとき、敏の木地にこけしの… 続きを読む
〔人物〕昭和29年1月3日宮城県玉造郡鳴子町新屋敷のこけし工人岡崎仁治、島の長男に生まれる。祖父は岡崎斉吉である。父仁治は新屋敷に岡崎商店を開いて、こけしの製作を行っていた。母の島もこけしの描彩を行なっていたが、昭和50… 続きを読む
〔人物〕明治元年10月13日、小椋徳右衛門・マサの長女として、秋田県雄勝郡川向村二五六番地(現在秋田県湯沢市皆瀬水上沢)に生まる。小椋久四郎・石蔵等の姉にあたる。明治24年10月、川連町大舘の塗師の小野寺梅太郎と結婚。 … 続きを読む
〔人物〕 山形県新庄市紙鍬町の大工。内職に木地を挽いていた。明治22年(推定)生。木地は見取り。昭和14年9月こけし研究家の深沢要が瀬見の旅籠で得た情報を元に、新庄に未知の工人を訪ねて杉原浩と会い、次の聞き書きを得た。 … 続きを読む