佐藤久助

〔人物〕明治19年2月9日、宮城県柴田郡前川村(現在の青根)の木地業佐藤久吉・りんの長男に生まれる。父久吉は遠刈田の佐藤久蔵の長男で、久蔵の妹トラは先代の佐藤文吉(文六の父)に嫁いでいる。久助は父久吉について木地を学び、… 続きを読む

山本俊一

〔人物〕 昭和24年6月24日、山本豪(つよし)(大正13年1月生、平成12年6月77才逝去)、小染(大正15年3月生、令和元年12月94才逝去)の5人兄弟の次男として仙台市青葉区作並に生まれた。母、小染は代々作並在住の… 続きを読む

厄除子如来

宮城県鳴子温泉を潟沼の方に登ったところ、大穴のふもとに祀られていた如来。鳴子こけしの起源とこけしの語源に絡んで説明されたことがある。 昭和初期に鳴子木地組合が作った赤い紙のこけし由来記があり、橘文策は〈木形子・第2号〉に… 続きを読む

吉田武重

〔人物〕昭和16年7月27日、宮城県玉造郡鬼首の木工業後藤平八の二男に生まれる。昭和32年より、岡崎斉吉の工場に入り、木地を学んだ。職人として働いたが昭和40年頃からしばらく休業した。昭和45年頃より鳴子町大口鷲ノ巣で木… 続きを読む

大沼秀則

〔人物〕昭和34年10月7日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷のこけし工人大沼力の長男に生まれる。 昭和53年4月高校を卒業してから父の大沼力について木地を学び、こけしを製作するようになった。秀則名義作品は昭和54年から出してい… 続きを読む

水野達也

〔人物〕明治21年5月30日、水野為蔵、むつの三男として生まれた。昭和14年に〈こけしと作者〉で紹介され当時、旭川市常盤町二丁目にいた。〈こけしと作者〉で橘文策は「手ぎれいな彩色を施した所なかなか清楚なものであるが、表情… 続きを読む

遠藤幸三

〔人物〕 明治44年1月5日、山形市滝山村上桜田の農業遠藤源六の四男に生まれる。父の源六は農業の傍ら、村役場の書記も勤めていた。 そのころ蔵王高湯の土産物店主であった万屋斉藤藤右衛門(藤助)が木地師吉田仁一郎を伴ってしば… 続きを読む

早坂伝吉

〔人物〕大正15年11月20日、宮城県宮城郡大倉村大手門の農業早坂喜平・よし の長男に生まれる。4歳の時、父が事業に失敗したため一家で北海道に渡り、各地を転々としたが、昭和16年故郷の大倉村に戻った。昭和25年25歳の時… 続きを読む

小椋初右衛門

秋田県に異動して来て木地山を形成した初右衛門一族は代々初右衛門を名乗る者が多い。久米之丞初右衛門は飛騨より会津立岩郷木賊山に移り、文化5年頃仙台側より羽後大川目山に渡り、加美郡中新田から来た小椋吉左衛門の一族と合流した。… 続きを読む

高梨邦夫

〔人物〕昭和4年9月25日、福島県安達郡大玉村に生まれる。成人して福島県岳温泉の扇や旅館に勤めていたが、温泉街の松野屋で大内一次が木地を挽いてこけしを作るのをみて興味を抱き、工房に出入りするようになった。正式の弟子になっ… 続きを読む