我妻勇

〔人物〕昭和9年8月10日、宮城県蔵王町七日原の農業我妻亀吉の六男に生まれる。昭和28年より、遠刈田新地の佐藤照雄に師事して木地業に就き、また昭和35年からは仙台の我妻吉助について技術を磨いた。昭和48年に白石で独立した… 続きを読む

海谷吉右衛門

〔人物〕 明治38年9月10日、青根の海谷周蔵、きくよの次男に生まる。長兄は周松。父周蔵は若くして没したので、母きくよは周蔵の弟の海谷善蔵と再婚した。12歳で青根尋常小学校を卒業するとまもなく一家は仙台市北材木町に移り、… 続きを読む

丹野倉治

青根の商店主であり、また木地工場を経営した人物。 明治15年ころから遠刈田新地や箱根から木地製品を仕入れ、これを青根温泉の浴客に商っていた。職人を雇い自らの工場で浴客からの需要が高かった木地製品を生産することを思いたち、… 続きを読む

新山久治郎

文久2年3月23日、刈田郡八宮村弥治郎の新山久蔵、志うの長男に生まれた。母志うは蔵本の小室巳之助二女。新山家は代々木地師で、新山家に残されていた享保16年(1731)の山之合判に記載されている休右衛門、あるいは久右衛門を… 続きを読む

我妻定男

〔人物〕昭和15年11月3日、宮城県仙台の農業我妻留三郎の四男に生まれる。昭和30年16歳より、仙台の我妻吉助に師事して木地の修業を行い、昭和38年に年期明けとなった。その後も継続して吉助方の職人を勤めたが、昭和50年1… 続きを読む

村上玉次郎

〔人物〕大正15年11月21日、岩手県気仙郡盛町の木地業村上蔵吉、とも江の次男に生まれる。母とも江は遠刈田の佐藤寅治の娘で、佐藤護の姉にあたる。父蔵吉は遠刈田の佐藤善八について木地を学んだ人、及位や肘折でも木地を挽いた。… 続きを読む

志田栄

〔人物〕 大正10年3月28日、山形県西村山郡大井沢村の農業・木地業志田善見(五郎八)の三男に生まれる。9人兄弟の8番目であった。昭和9年に小学校を卒業し、昭和13年頃より父五郎八の手伝いをするうちに自然に木地挽きの技術… 続きを読む

川口貫一郎

戦前の東京こけし会の創立に関わって〈こけし〉誌(昭和14年6月~昭和19年1月)を編集発刊、戦後は伊勢にて〈こけし〉誌(昭和24年1月~昭和47年7月)を142号まで発刊した。東京こけし会の中心メンバーであり、伊勢こけし… 続きを読む

小川文男

〔人物〕 昭和25年5月5日、宮城県亘理郡亘理町逢隈神宮寺の農業小川隆の二男に生まれる。亘理中学校卒業後、株式会社東京重機工業仙台支店に就職した。営業職時代の顧客の中に、こけし工人小室由一がいた。小室由一と交流を持ち、影… 続きを読む