〔人物〕昭和6年2月14日、福島県喜多方市関柴町字石の堂の小林民衛、セン四男に生まれた。関柴小学校高等科を卒業後、野沢こけしの製作者井上義治の長女ゆき子と結婚し、婿養子となった。結婚後、喜多方市大道田において新型こけしの… 続きを読む
片倉富夫
〔人物〕昭和11年8月31日、宮城県鳴子町の工業片倉利惣治の四男に生まれる。昭和27年4月17歳のとき鳴子の大沼力の弟子となり、木地を学んだ。こけしも作ったが、昭和35年に転業し、出稼ぎ労働者等をして働いた。昭和47年4… 続きを読む
近野明裕
〔人物〕 昭和25年8月16日、福島市の土地家屋調査士 近野一男の二男に生まれる。 高校を出てから、市の職員を2年勤め、その後上京して法政大学文学部に進学、昭和51年卒業後は福島に戻り、商工会議所に勤務した。こけし工人渡… 続きを読む
佐藤富治海
〔人物〕 昭和5年12月2日、遠刈田新地の木地業佐藤文助、よしの次男として生まれる。昭和20年8月より、文助につき木地を修業、22年春よりこけしを作り始めた。昭和27年白石市の菅野新一の弟が経営する新型こけしの工場の職人… 続きを読む
高橋敏文
〔人物〕 昭和26年12月29日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷、高勘のこけし工人高橋盛雄、達子の二男に生まれる。高亀の高橋武俊とは同学年であった。 昭和45年20歳より、父盛雄について木地の修業を開始し、こけしの製作を始めた… 続きを読む
村上政之助
明治17年頃、宮城県柴田郡沼辺村の村上泰治三男として生まれる。明治30年佐藤吉郎平に弟子入りし、同36年に年季明けとなった。明治41年に遠刈田の佐藤茂吉長女とりと結婚、一時肘折の尾形木工所で職人をしていたが、やがて自宅に… 続きを読む
下村作二郎
明治17年4月17日生まれの日本画家、黄平と号した。 秋田県出身で放浪の画家といわれた寺崎広業(慶応2年2月25日―大正8年2月21日)に師事、寺崎は明治31年に東京美術学校助教授、明治34年に教授、日本画主任になり、野… 続きを読む
小林藤吉
生年月日、出身地など不明。小林倉吉の最後の弟子で年季明けの後、昭和2、3年頃から山形市薬師町で丹野辰彦等とともに木地業に従事したが、昭和16年頃死亡した。また弟の太郎も兄とともに働いていたが前後して没した。こけしを作った… 続きを読む
小椋カネ
〔人物〕明治元年10月13日、小椋徳右衛門・マサの長女として、秋田県雄勝郡川向村二五六番地(現在秋田県湯沢市皆瀬水上沢)に生まる。小椋久四郎・石蔵等の姉にあたる。明治24年10月、川連町大舘の塗師の小野寺梅太郎と結婚。 … 続きを読む
坪井正五郎
東京において、明治から大正にかけて古物、故実、風俗、玩具の蒐集、調査、鑑賞に関わる活動を組織化した人物。「竹馬会」「集古会」「大供会」「流行会」など人形、玩具に関わるかかわる多様な活動に関わった。交際が広く、これらの重層… 続きを読む