小倉嘉蔵

天保10年12月5日、宮城県弥治郎の農業、木地業小倉嘉七、くまの長男に生まれた。小倉家の当主は代々加右衛門を名乗った。弥治郎山の合判に休右衛門、二右衛門、加右衛門の名があるが、加右衛門は小倉家の祖である。木地の技術は父の… 続きを読む

小林吉次

明治14年8月6日、小林倉治五男として山形市に生まれた。明治25、6年から4年間米沢の小間物問屋に丁稚奉公に出さ、帰郷後父の倉治に就いて木地を修業した。弟吉三郎によると香具師(露天商)の仲間に入り、各地を売り歩いたという… 続きを読む

小堀邸子

〔人物〕 小堀邸子、旧姓佐々木邸子は、昭和12年4月18日青森県南津軽群大鰐町大字前田82番地の木地業佐々木金次郎、ツエの六女として生まれる(10人兄弟、男4人女6人)。 昭和33年3月に弘前学院短期大学卒業後、つがる工… 続きを読む

金山文太郎

明治32年、山形県真室川町釜淵の木地業金山文治郎の長男に生まれた。父の文治郎は山形県五百川村白倉出身の木地師であった。文治郎の木地の修業経歴は不明である。 文太郎は車の玉、机や椅子の脚などが専門で、こけしは一切作らなかっ… 続きを読む

斎藤伊之助

〔人物〕 明治26年山形県最上郡南山村肘折の農業斎藤永平の長男に生まれる。12歳の時、古口の寺へ小僧として出されたが、明治40年15歳で肘折に戻り、佐藤文六について木地の修業を行った。当時尾形政治は斎藤永平の家の下屋を木… 続きを読む

渋沢敬三

明治29年8月25日 、渋沢篤二と敦子夫妻の長男として東京深川に生まれた。祖父は「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一。敬三も第一銀行副頭取を務めた後、日本銀行に移り、昭和19年に第16代の日本銀行総裁となった。 実業界… 続きを読む

北本武

〔人物〕大正2年9月19日、福島県二本松の玉屋菓子店北本松之進の長男に生まれた。少年時代より絵が得意であった。昭和2年一家は盛岡の材木町に移り菓子業玉屋を始め、戦後は盛岡駅前に移った。昭和28年ころよりこけしに興味を持ち… 続きを読む

河村音次郎

〔人物〕 明治38年1月19日河村辰治、リマの二男として秋田県由利郡本荘町裏尾崎町39に生まれる(〈こけし辞典〉に明治37年生まれとあるのは間違い)。旧制本荘中学校卒業後、北海道、樺太などで働き、昭和5、6年頃本荘に戻っ… 続きを読む

渡辺恒彦

[ 人物] 昭和14年3月19日、土湯旅館業山根屋渡辺彦平の二男として土湯に生まれる。山根屋渡辺作蔵は曾祖父、久吉は祖父にあたる。 飯坂の喜平は彦平の弟、恒彦の叔父にあたる。昭和46年ころより今泉源治について木地を修業、… 続きを読む

佐藤伝

〔人物〕   明治39年3月26日宮城県福岡村大字八宮字彌治郎の木地業佐藤伝内・てうの二男に生まれる。戸籍表記は傳。長兄は伝吉、弟に伝喜、伝伍、敏、巳歳、新、雪弥がいる。敏は二歳で夭折した。 大正9年… 続きを読む