
明治26年4月5日、秋田県雄勝郡三梨字清水川の小野寺小三郎長男に生まれた。小椋啓太郎の描彩者小野寺岩蔵とは血縁である。職業は塗師。若いころに鳴子へ修業に行き、そのまま転住した。大正9年に東京都南葛飾郡へ移り、半年後再び鳴… 続きを読む
明治26年4月5日、秋田県雄勝郡三梨字清水川の小野寺小三郎長男に生まれた。小椋啓太郎の描彩者小野寺岩蔵とは血縁である。職業は塗師。若いころに鳴子へ修業に行き、そのまま転住した。大正9年に東京都南葛飾郡へ移り、半年後再び鳴… 続きを読む
秋田県雄勝郡雄勝町下院内字湯ノ沢にある温泉。平安時代の”後三年の役”の際、源義家がこの湯に将兵を休ませたとの伝承がある。「傷の名湯」として名高い温泉であった。江戸期には湯宿が営まれていたが、明治元… 続きを読む
〔人物〕 昭和2年11月23日、山形県蔵王高湯の斎藤松助の長男に生まれる。旧制芝浦工業学校機械科を卒業後、少年飛行兵として従軍、昭和20年復員した。その後、父松助の経営する旅館招仙閣を手伝った。昭和41年ころから父松助が… 続きを読む
〔人物〕 昭和35年7月20日、鈴木昭二、みさほの三男として仙台市に生まれる。 昭和54年4月より父について木地修業、昭和63年に玩愚庵の三代目代表となる。 祖父の鈴木清がもともと昭和12年頃に仙台市日の出丁の桜井玩具… 続きを読む
〔人物〕 明治7年6月12日、福島県信夫郡土湯村字下ノ町19番地、松屋阿部吉弥、ヤヨ五男に生まれる(〈こけし辞典〉で母の名をヤマとしてあるのはヤヨの誤り)。兄に、熊治郎、太郎吉、松吉、常松がいる。松屋は代々の木地業で、父… 続きを読む
〔人物〕明治18年4月1日、福島県信夫郡土湯村字下ノ町の木地業湊屋の佐久間浅之助、ノエの五男に生まれる。〈こけし辞典〉記載の生年月日は弟米吉と混同しており誤りである。長兄由吉、以下粂松、常松、源六の兄が居り、弟に米吉、虎… 続きを読む
明治29年頃、宮城県白石市の石屋の息子として生まれた。佐藤友晴著〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると大正5年に11歳で遠刈田の佐藤茂吉に弟子入りしたとある。翌年の県当局による小室萬四郎の木地講習会では茂吉が講師を務めたた… 続きを読む
〔人物〕明治44年1月18日、福島県伊達郡睦合村大字平沢字上城に生まる。氏家福平、チャウの六男。父福平が大正9年中ノ沢に移住して旅館平澤屋を経営した。甚助、リヱ、利雄、義雄、辰雄、長四郎は兄姉、弟に鶴雄がいる。 小学校卒… 続きを読む
〔人物〕 昭和36年4月15日、宮城県宮城郡宮城町大倉屋敷平に林業梅津政蔵、みや子の次男として生まれる。12歳のとき父が亡くなり、また母も身体が丈夫ではなかったので、手に職をつけることを考え 中学校を卒業後昭和51年より… 続きを読む
〔人物〕昭和8年5月9日、山形県米沢市の武田卯三郎、リオの三女に生まれる。武田信吉、武田正志は兄にあたる。天童市の高橋家に嫁いでいたが、兄の信吉の指導を受けてこけしの描彩を行うようになった。昭和59年より高橋コウ名義で作… 続きを読む