〔人物〕昭和15年1月13日、鳴子町大口字町西の公務員高橋次郎、あさのの次男に生まる。昭和30年3月川渡中学校卒業後、直ちに鳴子高勘の高橋盛雄の弟子となり木地を修業、高勘の職人として長く働いた。〈こけしガイド〉で新進気鋭… 続きを読む
〔人物〕昭和15年1月13日、鳴子町大口字町西の公務員高橋次郎、あさのの次男に生まる。昭和30年3月川渡中学校卒業後、直ちに鳴子高勘の高橋盛雄の弟子となり木地を修業、高勘の職人として長く働いた。〈こけしガイド〉で新進気鋭… 続きを読む
明治27年ころ、山形市に生まれた。石沢角四郎によると、周蔵という兄がおり、岡崎栄治郎の山形時代の弟子であったという。小林吉三郎によると、明治44年ころ、大火の直前にメッカチの丑さんという木地師が小林家に職人として働いてい… 続きを読む
〔人物〕大正3年3月1日、山形県東村山郡山寺村芦沢の農家に生まれる。10人兄弟の末子であった。体格はよく、徴兵検査では甲種合格であった。太平洋戦争に応召、昭和20年11月に復員した。 復員後、将来を考えて木地の技術を身に… 続きを読む
〔人物〕 明治15年3月15日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向(木地山)小椋東右衛門(小椋吉左衛門三男)・ハル(小椋勇右衛門長女)の長男に生まる。明治26年11歳のとき、一家で川連大館へ下る。小椋吉左衛門の家督は東右… 続きを読む
〔人物〕明治29年11月23日生まれ。米沢市芳泉のこけし作者堀実の妻女。「堀きん」として紹介されることもあるが「堀しん」が正しい。息子に堀義美がいる。 夫の堀実は米沢に来た小林吉太郎と親しく、その影響でこけしの製作も始め… 続きを読む
大正7、8年宮城県刈田郡稲子村で宮城県の後援・補助金をもとに開催された木地講習会の受講者12人の中の一人。講師は佐藤松之進で遠刈田で挽く木地物は一通り教えたという。したがってこけしも作ったであろうが、嘉兵衛の作は確認され… 続きを読む
〔人物〕大正6年7月22日、鳴子高橋盛・きくゑの長男に生まる。高橋松子は妹、遊佐福寿は実弟である。高等小学校を卒業後、父盛について木地を修業した。こけしも作り、母きくゑと合作のものなどが及川商店で売られた。昭和12年より… 続きを読む
〔人物〕 明治40年2月19日、福島県野地温泉の旅館業加藤屋の佐藤嘉吉、スイの三男に生まれる。嘉吉は膽澤為次郎から一人挽きを学んでおり、冬期は土湯に下りて木地業に従事していた。嘉吉の長男忠太郎は野… 続きを読む
〔人物〕 昭和28年6月1日、白布高湯新山慶美の長男に生まれる。子供のころより父慶美について木地の手ほどきを受けていたが、昭和40年13歳ころよりこけしも作るようになり、昭和41年夏ころより純一名義のこけしも店頭に並べる… 続きを読む
明治17年9月16日、岡山県邑久郡本庄村に生まれた画家。本名は竹久茂次郎。実家は酒造業で竹内菊蔵の二男。ただし、兄は早世したので実質的には茂次郎が跡取りであった。しかし、明治33年に父菊蔵は酒屋をたたみ、九州の八幡製鉄所… 続きを読む