
宮城県玉造郡鳴子の大沼又五郎の二番目の妻。大沼又五郎は女房運が悪く、嘉永6年に最初の妻ちやを亡くしたあとなつを後妻とした。 なつは鳴子の高橋次左衛門の長女。又五郎と先妻ちやとの間にはの間にせい、りうの二女がいて、せいに高… 続きを読む
宮城県玉造郡鳴子の大沼又五郎の二番目の妻。大沼又五郎は女房運が悪く、嘉永6年に最初の妻ちやを亡くしたあとなつを後妻とした。 なつは鳴子の高橋次左衛門の長女。又五郎と先妻ちやとの間にはの間にせい、りうの二女がいて、せいに高… 続きを読む
〔人物〕明治25年11月3日、宮城県弥治郎の渡辺幸六、みんの次男に生まる。渡辺幸治郎は長兄。明治35年11歳のとき、生家上屋敷より白岩屋敷へ移る。 明治39年15歳より新山栄五郎について木地を習得、明治45… 続きを読む
〔人物〕大正14年10月12日、青森県に生まれる。戦前山谷権三郎の弟子となり、昭和15~6年頃には自分名義のこけしも出していた。しかしその後まもなく転業したようで、以後の消息は不明である。〈こけし辞典〉執筆当時でも、温湯… 続きを読む
〔人物〕会津若松にある福島県立工芸試験場の技師。明治33年頃の生まれ。県立会津中学校の卒業と思われ、校内の美術クラブ後素会のOBによって大正15年春に創立された彩光会という洋画団体の名簿に長尾三郎、春日部たすく、渡部菊次… 続きを読む
〔人物〕大正5年2月11日、新潟県南蒲原郡田上に生まれる。戸籍表記は節子。夫の村上哲雄は陸軍将校で仙台の参謀本部に勤務した。仙台で終戦を迎え、鶴岡市元曲師町に転居した。せつは娘時代から絵画や彫刻に興味を持ち、戦後になって… 続きを読む
〔人物〕昭和23年3月31日生まれ。山形県米沢市小野川温泉のこけし工人岡崎昭一の妻女。 昭和53年頃より、夫の昭一よりこけしの描彩を教わった。昭一木地に描彩を行って、せつ子名義のこけしを発表した。平成に入って昭一と離婚し… 続きを読む
東京こけし友の会初代会長を務めた。 千葉医科大学(現 千葉大学)法医学教室で加賀谷勇之助教授のもとで医学を学ぶ。血球抗原性に関する研究等を行い、昭和10年に医学博士号を取得する。このころ、東京松坂屋で開催されたこけし展を… 続きを読む
〔人物〕 昭和7年4月14日、柴田郡川崎町青根温泉佐藤菊治・キツの六男として生まれる。昭和21年刈田郡遠刈田中学校卒業後に菊治につき木地修業、主に新型こけしを挽いた。なお、旧型は昭和30年頃より挽き始めている。父の菊治は… 続きを読む
〔人物〕昭和3年9月10日、農業佐藤惣明の五男に生まれた。昭和50年10月48歳の時から、篠木利夫について木地の技術を学んだ。福島市岡部に住んで、平成13年9月80歳を過ぎてから翁龍名義のこけし作品を発表するようになった… 続きを読む
明治8年9月5日、東京神田に生まれた。本名は田中政秋。東京府士族。父は勢州亀山(現三重県亀山市)の士族、母は野州宇都宮(現栃木県宇都宮市)藩士の娘。内務省官吏で、昭和10年頃は内務省の嘱託となり、自ら内務省の古狸と称して… 続きを読む