佐藤みつ子

〔人物〕昭和9年5月30日生まれ。戸籍表記は佐藤瑞子。鳴子のこけし工人桜井実と結婚、桜井実は佐藤家の婿となったので昭和36年頃より佐藤実の名でこけしを出すようになった。 みつ子は結婚当初からこけしに興味があり、夫実の仕事… 続きを読む

国分陞

〔人物〕戸籍表記は國分である。國分陞は昭和20年3月9日に國分栄七、十二日(とにか)の五人兄弟の末子(男2人・女3人)として白石市に生まれた。兄は榮一、鎌田文市の妻さくよは叔母(栄七の妹)にあたる。陞の祖父徳治の兄寅吉の… 続きを読む

三浦利夫

〔人物〕昭和9年5月1日、福島の三浦駒吉の四男に生まれる。高湯温泉の渡辺義雄の義弟にあたる。本業は大工であった。昭和44年義兄の義雄について木地を学び、こけしの製作を始めた。   〔作品〕こけしは渡辺義雄からの… 続きを読む

村田徳次

〔人物〕 大正15年11月22日、福島県二本松市本町の青果卸業村田忠太郎、セキの5男に生まれる。兄弟は8人いた。東京の都立牛込商業に進学するが、戦争のため昭和18年に2年生で中退し、二本松に帰郷した。そのころ体調を崩して… 続きを読む

大正博覧会

大正3年3月20日から7月31日まで、東京府が主催し、上野公園(後の上野恩賜公園)を主な会場として開催された博覧会。総裁は閑院宮戴仁親王殿下が務められた。 上野公園地の台地上に設けられた第一会場には既存の博物館、美術館の… 続きを読む

佐々木マツエ

〔人物〕昭和10年2月10日に生まれた。岩手県横川目の佐々木覚平に嫁いだ。覚平に習って木地も描彩も行うようになった。製作は主に覚平が病等で仕事のできないときで、完成した作品は基本的に全て覚平名義で出していた。ただ、平成5… 続きを読む

松田真澄

〔人物〕 昭和34年8月19日、宮城県古川市の農業野田勇夫、かほるの長女に生まれる。昭和53年古川学園高等学校を卒業。昭和57年鳴子のこけし工人松田忠雄と結婚、平成4年ころから、夫忠雄の指導を受けてこけしの製作を始めた。… 続きを読む

小室由一

〔人物〕 昭和12年4月10日、商業小室由吉の長男に生れる。由一の母は、遠刈田の佐藤英太郎の母と姉妹という。昭和31年20歳の時、遠刈田の佐藤好秋について木地を学び、好秋の下で6年間修業を積んだ。兄弟弟子に大宮正男、今野… 続きを読む

大沼熊治郎

〔人物〕明治9年9月15日、鳴子大沼善三郎(通称栄五郎)の二男に生まる。父善三郎は大沼駒蔵の長男で弟に栄三郎がいた。父栄五郎は沢口吾左衛門文書の木地挽きの部にその名を見ることができる。熊治郎は父栄五郎より木地技術を習得。… 続きを読む

小椋英二

〔人物〕 昭和20年3月24日、秋田県雄勝郡皆瀬村木地山の小椋留三、ハルエの次男に生まれた。中学校在学時より山仕事及び本家(久太郎)の木地仕事を手伝った。中学校卒業後は、正式に本家にて木地業に従事、留三や宏一とともに久太… 続きを読む