〔人物〕大正11年11月6日、宮城県鳴子の高橋覚五郎の娘に生まれた。祖父は高橋覚左衛門で沢ロ吾左衛門文書(明治21年4月)の木地挽ノ部に名前を記載された木地師であった。 昭和30年代末頃から鳴子駅前通りにあった及川正夫商… 続きを読む
陳野原和紀
〔人物〕 昭和4年3月11日、林業陳野原健蔵、フジヱの長男として土湯に生まれる。弟の陳野原幸紀は健蔵五男である。 昭和18年3月土湯尋常高等小学校卒業後は山仕事に従事、その後鶴見の工場に勤務。 昭和39年4月土湯に帰り、… 続きを読む
冨田喜夫
〔人物〕昭和19年1月13日、福島県福島市の冨田照次の二男に生まれた。昭和59年頃に高湯温泉の篠木利夫に木地を習って一時期こけしを製作した。 〔作品〕篠木利夫の作風を継承したが、作品は土湯系の一般型であった… 続きを読む
岩附義正
〔人物〕 昭和23年6月25日、埼玉県草加市岩附五郎の長男に生まれる。本名は政美。実家は鉄工所経営。将来は工場を継がせるため、親は機械技術を学ぶことを勧めたので、日大一中、日大一高を経て日大理工学部に進み機械工学を学んだ… 続きを読む
北岡木工所
宮城県遠刈田温泉の木地商北岡仙吉が開設した木地工場。 北岡仙吉 橘文策撮影 北岡仙吉は明治16年5月17日の生まれで、父は北岡仙太郎(明治35年没、享年49歳)。 明治38年は凶作で、湯治客も減少し、遠刈田地方は疲弊した… 続きを読む
我妻昭三
〔人物〕昭和7年10月10日、宮城県遠刈田の我妻与四松の長男に生まれた。弟に信幸がいる。昭和30年代から、父の仕事を見ながら見様見真似でこけしを作った。昭和41年より土産物店「よしまつ」で働く傍ら、父与四松から木地の技術… 続きを読む
淡島寒月
淡島寒月 本名宝受郎(とみお)。別号寒月、愛鶴軒。玩具の世界では寒月で知られる。安政6年10月23日、江戸日本橋馬喰町4丁目に生まれる。家業は軽焼淡島屋。父の淡島椿岳は武蔵川越の農家の生まれであったが、馬喰町の名物軽焼淡… 続きを読む
早坂晃
〔人物〕昭和13年2月22日、北海道の会社員早坂耕五郎の長男に生まれる。昭和31年より仙台市青葉区八幡町の叔父早坂伝吉について木地を修業した。昭和43年より青葉区芋沢の佐藤正広の工場の職人として働いた。昭和48年2月に青… 続きを読む
海谷ふみ
〔人物〕昭和14年3月6日生まれ。山形市山寺のこけし作者海谷好雄と結婚した。 好雄のこけし製作を手伝ううちに見取りでこけしの描彩を修得し、昭和55年ころより自分名義のこけしも出すようになった。 〔作品〕小寸のこけしから始… 続きを読む
加納伝三郎
〔人物〕明治31年5月3日、宮城県仙台市の士族 加納伝之丞、とくの長男に生まれた。父伝之丞は仙台市北五番丁115に居を構え、工業学校で技術を教えていた。伝次郎、伝之助、正ハの弟と、花子、きく、きみ子の妹がいた。大正15年… 続きを読む