明治18年4月27日、宮城県栗原郡高清水町の梅崎利助、まさのの長女に生まれる。明治41年鳴子の秋山耕作と結婚、のち耕作とともに南津軽郡蔵館、大鰐へ移り、大正12年に鳴子に戻った。耕一郎、耕二郎など四男五女をもうけた。 昭… 続きを読む
明治18年4月27日、宮城県栗原郡高清水町の梅崎利助、まさのの長女に生まれる。明治41年鳴子の秋山耕作と結婚、のち耕作とともに南津軽郡蔵館、大鰐へ移り、大正12年に鳴子に戻った。耕一郎、耕二郎など四男五女をもうけた。 昭… 続きを読む
〔人物〕昭和13年1月27日、福島の加藤英の三男に生まれる。安藤未黎の弟子となってこけしを作るようになった。師の未黎は描彩のみの作家であり、保明が誰から木地を学んだか判然としない。 〔作品〕安藤未黎の描法を… 続きを読む
〔人物〕明治13年9月1日、秋田県由利郡本荘の佐藤與吉・タケの四男に生まる。8歳年長の姉キクの夫である國松美登里より木地を習得した。佐藤家も國松家も本荘二万五千石に仕える士分の家であったが、維新後の失業時代であったため手… 続きを読む
〔人物〕 明治45年2月16日秋田県川連村大館の木地師小椋米吉・ツメヨの次男に生まれる。長兄に勝雄がいる。〈こけし辞典〉では2月26日生まれとなっているが誤りである。大正4年米吉一家は北海道枝幸群原野に移住、大正7年に旭… 続きを読む
〔人物〕 大正5年2月28日、山形県最上郡舟形村長沢の農業伊藤石之助長男に生まれる。祖父長七は長沢の出身で、鳴子木地師より技術を受けて立木の小物類を挽いたという。師匠名は不明。長一家には木地の「覚」(伊藤長作文書)が伝え… 続きを読む
山形県肘折の奥山運七の妻女ヤスの姉の子供。 奥山運七、ヤスは子供に恵まれず、ヤスの姉の子である吾妻鉄造を養子にしたが、鉄造は木地の仕事を好まず、3年ほどで肘折を去った。その間、こけしを製作したかどうか不明である。 鉄造が… 続きを読む
〔人物〕 明治33年6月17日、宮城県玉造郡鳴子の大沼浅吉・せいの次男に生まれる。子供の頃から祖父岩太郎、父浅吉の仕事を見ながら木地挽きを覚えた。父浅吉はこけしの描彩が不得手であったので、こけしは祖父岩太郎に習った。大正… 続きを読む
〔人物〕昭和33年12月14日、宮城県秋保町湯元の中学校教員でこけし工人の山尾昭、美枝子の長男に生まれる。祖父は山尾武治。昭和53年に東北学院大学法学部法律科を卒業し、水戸屋開発株式会社に入社した。水戸屋は秋保の老舗旅館… 続きを読む
明治17年頃、宮城県柴田郡沼辺村の村上泰治三男として生まれる。明治30年佐藤吉郎平に弟子入りし、同36年に年季明けとなった。明治41年に遠刈田の佐藤茂吉長女とりと結婚、一時肘折の尾形木工所で職人をしていたが、やがて自宅に… 続きを読む
明治27年ころ、山形市に生まれた。石沢角四郎によると、周蔵という兄がおり、岡崎栄治郎の山形時代の弟子であったという。小林吉三郎によると、明治44年ころ、大火の直前にメッカチの丑さんという木地師が小林家に職人として働いてい… 続きを読む