伊藤三郎

〔人物〕昭和7年11月2日、宮城県刈田郡遠刈田の佐藤留吉、りんの二男に生まれた。昭和23年より佐藤護の長男佐藤栄一について木地を学んだ。この当時佐藤栄一は新型を作っていたので、伊藤三郎も主に新型の木地を挽いた。昭和28年… 続きを読む

野口小蘋

弘化4年、徳島出身の古医方松邨春岱の長女として大坂難波生まれた。 8歳のときに四条派の石垣東山に入門、16歳の時、絵の修業のため父春岱とともに北陸を数ヶ月にわたり巡遊、このとき福井藩の絵師島田雪谷から画の手解きを受けた。… 続きを読む

海谷周松

〔人物〕明治35年11月15日、青根の木地師海谷周蔵、きくよの長男に生まれた。海谷吉右衛門は周蔵二男で弟にあたる。父周蔵は若くして没したので、大正4年叔父善蔵が継父となった。大正6年ころ仙台市北材木町に移り、ここで善蔵よ… 続きを読む

佐久間弥

〔人物〕    明治40年8月25日、佐久間沢次郎、シモの次男として、土湯村字杉ノ下六三に生まれた。佐久間勝は長兄である。小学生時代には斎藤太治郎が小学校の教員をしていて、3年生まで弥は太治… 続きを読む

佐藤政雄

山形県山寺の富士屋旅館の息子で蔵王高湯の岡崎長次郎に木地を習い、山寺で約3年ほど木地を挽いた後、家業の旅館業に戻った。その後石山三四郎にこけしの描彩を教えている。この頃、佐藤政雄は木地を廃業したので、山寺宝珠山立石寺境内… 続きを読む

新山久一

〔人物〕 大正6年2月10日、青森市大野長嶋の新山沢次郎長男としてに生まれる。昭和6年高等小学校を卒業後、同7年大鰐町蔵館の佐々本金次郎に弟子入りし、同12年に年期明けした。弟子時代にこけしを挽いたことはあるが、描彩はし… 続きを読む

磯川盛雄

〔人物〕   昭和12年7月7日、軍人磯川弥五郎、トラの次男として猪苗代町に生まれる。昭和28年に猪苗代町立猪苗代中学校卒業後、猪苗代役場に勤めた。昭和37年遠藤民子と結婚。本多洋は役場の先… 続きを読む

大沼俊春

〔人物〕 昭和4年3月11日、北海道洞爺湖の桶樽製造業板垣志治郎・スヱの三男に生まれる。3歳の時母と死別、昭和9年6歳の時に鳴子から来て洞爺湖にいた木地師大沼甚四郎夫妻に引き取られて養子となった。入籍はしていなかったので… 続きを読む

今野運作

〔人物〕大正8年5月14日生まれ。仙台市産業局共同工業指導所にいた及川吉郎について木地およびこけし製作を学んだ。仙台市泉区実沢に住んでこけしの製作を行った。   〔作品〕師の及川吉郎は遠刈田の佐藤孝之助について… 続きを読む

渡辺作蔵

〔人物〕 嘉永4年12月12日、福島県信夫郡土湯村下ノ町28の木地業佐久間弥七・タカの二男に生まれる。戸籍表記は渡邉作藏。〈こけし辞典〉に「上ノ町43に生まる」とあるのは誤り。木地の技術は小さい頃から、祖父亀五郎、父弥七… 続きを読む