小林清蔵

〔人物〕明治28年1月12日、山形市旅篭町の木地業小林倉吉の長男としてに生まれる。明治40年13歳で尋常小学校を卒業した後、父の倉吉について木地の修業を開始した。 明治40年代に入ると山形の木地の需要は薄荷入れが中心とな… 続きを読む

槻田與左衛門

〔人物〕万延元年11月6日、宮城県宮城郡作並村25番地の農業槻田逸三郎、ひての三男に生まる。長兄に吉三郎、次兄に利三郎がいた。師匠は定かではないが、生家の母屋の片隅にロクロを据えて木地を挽き、こけしや玩具を作っていたとい… 続きを読む

本間久雄

〔人物〕  明治43年4月14日山形県飽海郡八幡町青沢で生まれる。昭和元年17歳の時に酒田の木地師本間儀三郎に弟子入りして、木地の修業をした。久雄が儀三郎のもとで修業していた頃、柏倉勝郎が本間儀三郎の木地にこけ… 続きを読む

高橋輝行

〔人物〕昭和15年1月13日、鳴子町大口字町西の公務員高橋次郎、あさのの次男に生まる。昭和30年3月川渡中学校卒業後、直ちに鳴子高勘の高橋盛雄の弟子となり木地を修業、高勘の職人として長く働いた。〈こけしガイド〉で新進気鋭… 続きを読む

小椋慶次郎

〔人物〕 明治33年9月20日、秋田県雄勝郡大館の木地業小椋運治の次男として生まれる。長兄は小椋啓太郎、弟に与三郎がいた。父運治の兄は養治で、養冶の長男が泰一郎であり、慶次郎と泰一郎は従兄弟にあたる。 長男啓太郎は運治の… 続きを読む

秋山耕作

〔人物〕  明治14年12月18日、宮城県遠田郡涌谷の商業秋山清八郎・らんの長男に生まれる。秋山忠、慶一郎、清作は弟である。秋山家は代々士族であったが、維新後は一族北海道に渡り、清八郎家のみが墓守りに残った。 … 続きを読む

第1回内国勧業博覧会

明治10年8月から11月30日にかけて、上野の寛永寺本坊跡に建てられた煉瓦造の美術館を中心にして開催された博覧会。初代内務卿大久保利通の提案により、内務省の主導で開催された。 明治政府は明治6年のウィーン万国博覧会に初め… 続きを読む

栗山一太郎

明治29年ころ、山形市に生まれた。父は旅館業を営んでいた。山形の小林吉太郎に師事して木地を修業し、年期が明け後入隊した。除隊後山形市の藤倉栄三郎機料店で働き、大正9年ころ北寺町の味田桶店の娘と結婚、山形の寺町大宝寺の近く… 続きを読む

石井信明

〔人物〕昭和3年9月11日、福島県田村郡大越町大字上大越字下内の農業石井廣見、タロウの五男に生まれた。小学校教員を40年間務めたが、平成元年に定年退職した。この頃より友人の勧めてこけしに関心を持ち収集を始めた。やがて自分… 続きを読む

大沼栄五郎

 弘化4年7月6日、宮城県鳴子の大沼駒蔵の長男に生まる。戸籍名善三郎。塗師栄三郎は弟。木地は横谷善作について学んだという。沢口吾左衛門文書木地挽ノ部に記載されている。長男は熊太郎(明治5年7月14日生。木地師のほか、飲食… 続きを読む