
山形県最上郡金山町の人。大正7年山形県の木地講習会が金山で開催され、鉄蔵の家が会場になった。この講習会には佐藤三治、菅原富蔵も参加した。金山は及位の隣の町であり、おそらく三治、富蔵は及位から指導に参加したのであろう。 ま… 続きを読む
山形県最上郡金山町の人。大正7年山形県の木地講習会が金山で開催され、鉄蔵の家が会場になった。この講習会には佐藤三治、菅原富蔵も参加した。金山は及位の隣の町であり、おそらく三治、富蔵は及位から指導に参加したのであろう。 ま… 続きを読む
〔人物〕 昭和26年2月16日、遠刈田新地の木地業佐藤文男、よしの長男として遠刈田新地に生まれる。昭和41年遠刈田中学校卒業後、祖父丑蔵、父文男につき木地修業。以後通信教育を受けながら自身のこけしや丑蔵の木地下を挽いた。… 続きを読む
〔人物〕 明治39年7月30日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向(木地山)の木地師小椋久四郎、キクの二男に生まれる。留三は実弟、石蔵は叔父、正治は従兄にあたる。 稲庭の母方の祖父栗原久之助の家に寄宿して、稲庭尋常小学校に通学した。… 続きを読む
〔人物〕昭和16年3月30日農業平間金平の六男に生まれる。昭和31年4月より宮城県遠刈田の大宮正男について木地の修業を始めた。勝治は大宮正男の妻の甥にあたる。こけしは昭和44年10月より製作している。 平成30年には宮城… 続きを読む
〔人物〕株式会社丸金の創業者で郷土玩具・民芸品・食品の製造販売を行なった。 明治21年4月6日、立川町狩川(現在は、東田川郡庄内町狩川)にて生まれた。 大正7年に鶴岡に出て材木商阿部金治郎商店を起業した。大正8年の大洪水… 続きを読む
東京において、明治から大正にかけて古物、故実、風俗、玩具の蒐集、調査、鑑賞に関わる活動を組織化した人物。「竹馬会」「集古会」「大供会」「流行会」など人形、玩具に関わるかかわる多様な活動に関わった。交際が広く、これらの重層… 続きを読む
弘化4年6月14日、土湯村の旅館業阿部傳兵衛、ミンの長男に生まる。傳兵衛家は文禄年間越後から土湯に渡ってきた村上氏の浪人阿部徳右衛門薩摩の祐筆阿部傳兵衛の直系で、代々傳兵衛を名乗っていたという。屋号は松屋であるが、阿部吉… 続きを読む
〔人物〕天保12年3月23日、鳴子大沼甚五郎、登免(とめ)の長男に生まる。母とめは、通称とめのといい大沼弥治右衛門(戸籍名・弥左衛門。大沼又五郎妻女ちやの祖父)の三女である。したがって大沼又五郎とは義理の従兄弟にあたり、… 続きを読む
〔人物〕福島市土湯温泉の佐藤左志馬の弟子。土湯の蔦屋阿部国松の遠縁にあたる。生年月日等不詳である。昭和28、9年頃中学時代に左志馬に短期間弟子入りし、左志馬のこけしによく似たこけしを作った。〈こけし手帖・68号〉佐久間貞… 続きを読む
〔人物〕昭和17年2月8日、東京の会社員原野光幸の長男に生まれた。昭和38年より宮城県鳴子の早坂隆に師事して木地を学んだ。昭和58年頃より自分の名義でこけしを発表するようになった。 〔作品〕早坂隆よりの伝承であるが、鳴子… 続きを読む