後藤熊太郎

〔人物〕明治26年2月、宮城県名取郡秋保村長袋に生まる。農業後藤深右衛門、とじの長男。学校卒業後農業に従事、その後、長袋にあった秋保村立職工学校に入り木地を修業した。この時期の木地の講師は鳴子の遊佐孝太郎であったと思われ… 続きを読む

鈴木明

〔人物〕  昭和35年7月20日、鈴木昭二、みさほの三男として仙台市に生まれる。 昭和54年4月より父について木地修業、昭和63年に玩愚庵の三代目代表となる。 祖父の鈴木清がもともと昭和12年頃に仙台市日の出丁の桜井玩具… 続きを読む

北村守雄

〔人物〕大正14年6月2日に生まれた。会津若松の工芸指導所において、技師であった安藤良弘の指導を受け木地業についた。福島県南会津郡下郷町弥五島塔のへつりにてこけしの製作を始めた。家族全員によるこけしの製作である。長女寿万… 続きを読む

奥山ヤス

〔人物〕奥山運七の妻。明治8年5月22日、山形県北村山郡大石田町の榎本清助、モヨの二女に生まれる。榎本千代松の妹。橋本ヤスとした文献があったが榎本ヤスが正しい。明治28年肘折の奥山運七と結婚した。子供に恵まれなかったので… 続きを読む

小林倉治

〔人物〕弘化2年11月23日、山形市旅籠町の紅屋清蔵の二男としてに生まれる。実家は本来小林姓であったが旧城主最上家と因縁のある小林姓は使いづらく、屋号で名乗っていたらしい。祖父は塩肴漬物商で鹽屋、父清蔵は紅花商を営み、紅… 続きを読む

遠藤富也

〔人物〕 昭和20年代末頃に少数売られたが、本人の経歴は判然としない。 〔作品〕 〈こけし辞典〉には項目があり、小野洸蔵の胴の太い作品を掲載して、「遠刈田系で佐藤吉之助に酷似している」と記載されているが、厳密には頭頂など… 続きを読む

淡島寒月

淡島寒月 本名宝受郎(とみお)。別号寒月、愛鶴軒。玩具の世界では寒月で知られる。安政6年10月23日、江戸日本橋馬喰町4丁目に生まれる。家業は軽焼淡島屋。父の淡島椿岳は武蔵川越の農家の生まれであったが、馬喰町の名物軽焼淡… 続きを読む

小野喜義

〔人物〕昭和9年7月10日に生まれた。土湯系の佐藤俊昭と親しく、昭和55年ごろ俊昭からの勧めで手解きを受け、俊昭の木地に描彩のみ施した。 長く冠婚葬祭業に就いていたが、毎月佐藤俊昭の元へ互助会会費を集金に行く傍ら、こけし… 続きを読む

高野辰治郎

〔人物〕 明治37年6月26日、宮城県白石長袋に生まれる。大正6年と7年に宮城県の助成金を得て佐藤勘内が鎌先温泉で木地講習会を開催した。高野辰治郎はこのときの弟子の一人である。辰治郎のほかに鎌田文市、佐藤雅雄、高梨小藤治… 続きを読む