文政9年12月14日、福島県土湯字下ノ町の阿部四郎兵衛の長男に生まれた。戸籍表記は國松。ソノ、辰吉(戸籍名辰之助)、利助、栄七、タカ の弟妹がいたが、国松とソノ、辰吉には共に発話に不自由があった。父は氏子狩に応じた木地師… 続きを読む
文政9年12月14日、福島県土湯字下ノ町の阿部四郎兵衛の長男に生まれた。戸籍表記は國松。ソノ、辰吉(戸籍名辰之助)、利助、栄七、タカ の弟妹がいたが、国松とソノ、辰吉には共に発話に不自由があった。父は氏子狩に応じた木地師… 続きを読む
明治から大正にかけて山形市旅篭町で開業していた家具屋の主人。 田崎家具店では、岡崎栄治郎、海谷善蔵、佐竹林之助、白川久蔵、石沢角四郎、鈴木幸之助等多くの木地職人が働いた。こけしを挽いたのではなく椅子や机の脚など、家具の部… 続きを読む
〔人物〕明治27年7月8日、山形県東村山郡津山の武田春吉、フクの長男に生まれた。父の春吉は東村山郡高瀬村切畑の神尾家より武田家へ養子に入った人。母のフクは卯三郎が5歳の時に亡くなったので、父春吉は実家に帰り神尾姓に戻った… 続きを読む
青根木地業史は 比較的新しく、文久年間(1861~1863)に 遠刈田新地の佐藤周右衛門と佐藤文吉の二人が二人挽きロク ロの技法を、時の伊達13代藩主伊達慶邦公の御覧に供したことに始まる。し かしこれは御殿湯に滞在した伊… 続きを読む
明治40年5月6日、土産物商小関栄吉の長男として尾花沢市銀山で生まれた。 大正11年12月と、大正13年12月の二回、銀山で安藤齢太郎を講師として木地講習会が開かれた記録がある。会場は第一回が鶴利平宅、第二回が伊豆定雄宅… 続きを読む
〔人物〕昭和15年4月16日生。昭和31年より宮城県鳴子温泉の及川正夫商店の職人となり、佐藤俊雄の指導により木地を修得した。こけし作りは見取り学問である。昭和33年11月発行の〈こけしガイド〉の初版で写真紹介された。昭和… 続きを読む
宮城県玉造郡鳴子町で一時期こけしを製作した。 昭和30年代の前半、鳴子駅前の大沼純に木地の技術を習い、純の工房で働いた。 小沢孝雄、山口吉夫は兄弟弟子である。 その後、栃木県日光市石屋町に転出した。以後の詳細は不明である… 続きを読む
盛岡の内加賀野で木地業を続けた安保家は非常に古い木地師で、元禄年間に美濃より秋田県鹿角郡安保へ移動して木地業を営み、後に二戸郡浄法寺の荒屋地区に移り、さらに享保年間に南部藩より二人扶持を与えられてお抱え木地師となり、盛岡… 続きを読む
〔人物〕弘化2年10月7日、山形県北村山郡東郷村大字泉郷の農業神尾長三郎長男としてに生まる。神尾家は代々長三郎を名乗っていた。明治11年34歳のころ、山形の小林倉治に入門し木地挽きを修業した。長三郎の妻は北村山郡沼沢村出… 続きを読む
〔人物]昭和12年11月25日、木地業石山三四郎、きくの二女として山形市山寺芦沢1810番地に生まれる。女性三人男性二人の五人兄弟の二番目である。和夫は叔父にあたる。四番目の弟健一も少量こけしを製作したことがあるが、令和… 続きを読む