平賀忠

〔人物〕 昭和12年9月28日、宮城県作並の平賀多蔵の長男に生まれる。父多蔵は昭和16年に出征、18年にガダルカナルで戦死したので、父から木地を習う機会はなかった。 昭和28年広瀬中学校卒業、その年17歳で山形の小林誠太… 続きを読む

鈴木清

〔人物〕明治30年4月20日、山形県高畠町字川沼の農業鈴木清吉、かねの三男に生まれた。屋代尋常高等小学校卒業、東京の成城中学校中途退学した後、大平洋画塾にてデッサンを学び、さらに中島醴泉画伯につき日本画を学んだ。 一時米… 続きを読む

小安

小安は秋田県湯沢市皆瀬字湯元の古い温泉で、湯坪の開設も400年ほど前と言われている。南部藩から佐竹藩へ抜ける山道があり、子安番所が設けられていた。文化8年には、九代目の藩主佐竹義和が仙北領内巡回の途中、家来300人を連れ… 続きを読む

伊藤常治

〔人物〕 明治39年7月21日、秋田県雄勝郡皆瀬村小安温泉の農業伊藤政治・キサの二男に生まれる。、兄兵太郎の上に養子儀一郎がいる。小学校卒業後、営林署に勤務した。 伊藤家は農業および旅館業の傍ら木地業も営んでいたようで、… 続きを読む

毛利茂太郎

〔人物〕 明治23年4月10日、青森県南津軽郡山形村温湯鶴泉72の木地業毛利與七・かよの長男に生まれる。大正3年石名坂の渡辺兵吉四女すゑと結婚、テツ、専蔵、きさ、きぬ、きみ、正、みち、はちゑ、としゑ、とみえの十子をもうけ… 続きを読む

古関福太郎

山形県肘折近辺の出身で肘折で木地を挽いた人。〈こけしの郷愁・7〉によれば大沼新兵衛が佐藤周助の下で働いていた頃(明治35年頃)すでに年期を終えて職人として働いていたという。地味で堅実な人であったらしい。佐藤周助の息子佐藤… 続きを読む

山本与右衛門

〔人物〕 明治26年岩手県盛岡市に生まれる。家は代々の木地師であったという。その後、一ノ関市に転居し、一ノ関でも木地を挽いた。 山本与右衛門のこけしは橘文策によって〈木形子談叢〉で紹介された。同書によると、橘文策は昭和9… 続きを読む

小幡奈津子

〔人物〕昭和7年6月24日生まれ。福島市の小幡福松の長男敏夫に嫁いだ。義母の小幡チヨ、義姉の初子、夫の敏夫の指導でこけしの描彩を学んだ。戦後の小幡福松名義のこけしには奈津子の描彩のものが多い。昭和43年に義父の福松が亡く… 続きを読む

北岡木工所

宮城県遠刈田温泉の木地商北岡仙吉が開設した木地工場。 北岡仙吉 橘文策撮影 北岡仙吉は明治16年5月17日の生まれで、父は北岡仙太郎(明治35年没、享年49歳)。 明治38年は凶作で、湯治客も減少し、遠刈田地方は疲弊した… 続きを読む