こけし蒐集家の深沢要が、昭和9年より昭和21年にかけて収集したこけしのコレクション。深沢要の没後、欣未亡人の手により昭和28年11月鳴子町へ寄贈された。 寄贈され鳴子に着いた深沢コレクション(昭和28年) 出迎えた工人た… 続きを読む
阿部計英
〔人物〕 昭和12年2月8日、福島県土湯温泉木地業阿部広史、みねの三男に生まれる。友寿は長兄にあたる。12歳ころよりロクロに上がり、こけしも作ったというが、正式に父広史について木地を修業したのは昭和30年からであり、商品… 続きを読む
桜井コウ
〔人物〕 明治30年2月8日、山形市小姓町の理髪業桜井吉治・きく江の長女に生まる。大正2年隣の木地屋に働きに来ていた鳴子の木地師大沼万之丞を婿に迎えた。一人娘であったため万之丞を床屋の後継にと養父は考えたが、万之丞は床屋… 続きを読む
佐藤周右衛門
〔人物〕 天保3年4月14日、佐藤亥之松の長男として刈田郡宮村(遠刈田新地)に生まれる。戸籍上では佐藤七右衛門長男となっているが、七右衛門は周治郎家の家号で、通称亥之松という。木地挽きの修業開始年代は不明だが、二人挽き時… 続きを読む
耳
一部のこけしには、鬢の後方に赤線や墨でごく抽象的に耳状の飾りを描いたものや、墨で具象的・写実的に耳を描いたものがある。これらには、工人が意図的に耳として描いたものと、鬢の飾りのつもりで描いたものを、蒐集家が俗称「耳」と呼… 続きを読む
岡村豊太郎
〔人物〕 明治41年4月17日山形県西田川郡大山町鍛治町の木地業、岡村豊作長男として生まれる。尋常小学校卒業後に北海道函館市へ行き加藤龍初につきダライバンを習う。函館時代は、カムチャッカでのサケ、マス漁の木浮を桐材で盛ん… 続きを読む
盛美津雄
〔人物〕 昭和30年1月12日青森県黒石市温湯の木地業盛眞一・初江の三男に生まれる。大東文化大学卒業後祖父盛秀太郎、父眞一について木地を学び、昭和52年10月より美津雄名義のこけしを発表した。製作数は発表時より少なかった… 続きを読む
大沼覺
〔人物〕昭和23年5月1日、玉造郡鳴子温泉の土産物店経営大沼純の長男に生まれる。昭和46年大学卒業後会社員となった。昭和50年に会社を退職し、父の大沼純より木地挽きの指導を受け、昭和53年よりこけしを作り始めた。平成4年… 続きを読む
木村祐助
〔人物]大正13年2月26日、木村吉太郎、むらえの長男として山形県南村山郡上ノ山町十日町940番地に生まる。こけしに署名するときは「祐助」を用いるが、戸籍上は「勇助」である。 高等小学校卒業後、昭和16年に徴用され横須賀… 続きを読む
佐藤富雄
〔人物〕 昭和3年3月19日、遠刈田新地佐藤文助・よしの長男として生まれる。昭和16年尋常小学校卒業後、文助につき木地修業。糸巻き・コマ類から始めて、こけしを作ったのは鈴木凡太郎注文の豆根付けが最初である。昭和19年から… 続きを読む