
福島県二本松市小浜宇反町にある万人子守地蔵尊。子どもの守り本尊として「子地蔵尊」を貸し与える風習があり、子地蔵を里帰りさせ、新たに祈祷を受けるために、5月3日~5日の例大祭には 多くの参詣者が訪れにぎわう。発祥の時代はつ… 続きを読む
福島県二本松市小浜宇反町にある万人子守地蔵尊。子どもの守り本尊として「子地蔵尊」を貸し与える風習があり、子地蔵を里帰りさせ、新たに祈祷を受けるために、5月3日~5日の例大祭には 多くの参詣者が訪れにぎわう。発祥の時代はつ… 続きを読む
福島市荒井字寺屋敷にある白山寺は、「大竹子育地蔵尊」として知られる。ここに収められている多数の木彫りの地蔵尊は、形態がこけしに通じるものがあり、こけしの前駆的な存在であろうという人もいる。ただし、こけしとの関連を示す確実… 続きを読む
〔人物〕昭和9年2月20日、山形県上ノ山に生まれる。木地の修業を志して、遠刈田の佐藤哲郎に師事した。技術習得後、上ノ山に戻った。こけし製作を始めるにあたって、実家が荒井金七の家に近かったので金七の遺族と話をして、昭和53… 続きを読む
〔人物] 元治元年(戸籍上は慶応元年4月6日)、山形県北村山郡大高根村山ノ内(現村山市)に生まる。父井上三太郎は農業。17歳ころ、肘折へきて柿崎酉蔵(初代伝蔵)について木地を習う。当時はまだ二人挽きであった。明治20年、… 続きを読む
[人物] 昭和12年10月3日宮城県名取郡秋保村湯元30にて菅原庄七、とめよの長男として生まれる。昭和29年3月秋保中学校卒業後、石工等をした後昭和30年頃より庄七の仕事を手伝い始めた。昭和31年には初作を発表、作る本数… 続きを読む
〔人物〕 明治36年6月1日遠刈田新地の木地業佐藤寅治の三男として生まれる。周治郎・直治(小原)・直助は父寅治の兄弟であり、護の伯父、叔父にあたる。大正4年小学校卒業後、正式に父寅治について木地を学んだ。大正5年父寅治が… 続きを読む
〔人物〕 昭和7年4月14日、柴田郡川崎町青根温泉佐藤菊治・キツの六男として生まれる。昭和21年刈田郡遠刈田中学校卒業後に菊治につき木地修業、主に新型こけしを挽いた。なお、旧型は昭和30年頃より挽き始めている。父の菊治は… 続きを読む
〔人物〕昭和24年11月21日、宮城県仙台市の朝倉英次、きぬの三男に生まれる。秀之、光洋は兄である。 公明は小学校高学年の頃から、独楽を作りや英次こけしの蝋仕上などを手伝っていた。中学生になると母きぬが描彩する作り付け細… 続きを読む
〔人物〕昭和3年9月9日生まれ。昭和30年より新型こけしを製作していたが、山形のしばたはじめのすすめで大宮正安の指導を受けるようになり、昭和55年頃からこけしを発表した。昭和56年7月に山形市七日町に工房を持った。 &n… 続きを読む
〔人物〕 大正15年11月7日山形市六日町(通称新築西通り)木地業小林清蔵の長男として生まれる。小林忠次郎は6歳年少の弟。小学生時代からロクロに上り木地を挽いていた。昭和13年頃より父の指導でこけしの描彩も始めた。昭和1… 続きを読む