村上正

昭和6年、村上盛治末子として、遠刈田に生まる。遠刈田中学校を卒業後、昭和22年ころより新地の佐藤吉之助に弟子入りした。木地だけで、描彩はしなかった。長尾昌儀、佐藤哲郎は兄弟弟子である。年期明け後、白石その他で職人をしたが… 続きを読む

宮原泰治

〔人物〕昭和3年3月1日生まれ。秋田県湯沢市高松字下新田のこけし工人。 独学で木地挽きを身につけて、こけしを作るようになった。様式は木地山の小椋久太郎の型から始めた。昭和50年頃から製作を始めた。親戚の宮原幸亀(昭和36… 続きを読む

松本鶴治

〔人物〕大正11年3月11日、舞鶴の松本宗治の次男として生まれた。日本画を伊藤清三郎より習い、戦後岩手県花巻に移住して、昭和26年より木地挽きを習得した。やがて盛岡の北本武のこけしの木地を挽くようになった。また北本武のこ… 続きを読む

松田すみ子

〔人物〕昭和10年10月17日、宮城県玉造郡鳴子町の松田初見の三女に生まれた。松田三夫、重雄は兄にあたる。 昭和48年より父松田初見に習ってこけしの描彩をはじめ、また兄の三夫の指導を受けてすみ子名義のこけしを出すようにな… 続きを読む

松田晋

〔人物〕昭和47年7月26日、岩手県盛岡市清水町の木地業松田弘次の長男に生まれた。松田木工所は清水町から高松の池の奥の上田堤に移って家業を継続した。晋も平成6年より木地の修業を始め、平成8年4月より晋名義の作品を出すよう… 続きを読む

松田重雄

〔人物〕昭和7年1月3日、宮城県玉造郡鳴子町の木地業松田初見の二男に生まれた。松田三夫は長兄、すみ子は妹、忠雄は甥にあたる。父初見、兄三夫について木地を学んだが、しばらくして転業した。その後、昭和45年より再び木地を再開… 続きを読む

松沢正麿

〔人物〕昭和13年8月13日、宮城県刈田郡七ヶ宿町字明神前に生まれた。昭和29年中学校を卒業後、小原の本田亀寿について木地を修行した。亀寿の型を作っていたが、昭和41年鹿間時夫の勧めにより鶴松型を復元して一定の成果を出し… 続きを読む

松木朝臣

〔人物〕大正に生まれた。呉服商勢州屋松木金次・ミツの三男、六男三女の兄弟妹がある。商業学校を卒業後、高久田脩司の家の番頭を勤めた。郷土玩具に関連した趣味を持ち、須賀川在稲田の須賀川羽子板の収集で知られていた。昭和13年橘… 続きを読む

本間儀三郎

明治18年酒田に生まる。高橋直広の最初の弟子。酒田市上内匠町で木工所を経営し、昭和23年2月29日、64歳で没した。 こけしは作らない。昭和の初めころ、こけし作者として誤り伝えられた。〈こけしと作者〉では「私の入手したの… 続きを読む

堀実

〔人物〕明治29年10月3日、農業堀吉太郎長男として山形県南置賜郡南原村芳泉(現米沢市)に生まれた。米沢興譲館高校卒業後、村役場の勧業係をしていたが、大正6年ころから、当時米沢にきた小林吉太郎と親しくなり、趣味にこけしを… 続きを読む