信夫郡土湯村(福島県)の名主で、木地業も行っていた。当主は代々家名の四郎兵衛を名乗った。弘化2年君ケ畑(1845)、嘉永2年蛭谷(1849)、安政4年蛭谷(1857)、明治5年君ケ畑(1872)の氏子狩に応じている。下掲… 続きを読む
阿部作雄
〔人物〕大正3年5月25日、福島県土湯温泉蔦屋の阿部与作の四男に生まれた。佐藤左志馬に師事して、昭和51年60歳を過ぎてから、こけしの製作を始めた。 平成12年12月20日没、行年87歳。 〔作品〕師匠左志… 続きを読む
阿部国松
文政9年12月14日、福島県土湯字下ノ町の阿部四郎兵衛の長男に生まれた。戸籍表記は國松。ソノ、辰吉(戸籍名辰之助)、利助、栄七、タカ の弟妹がいたが、国松とソノ、辰吉には共に発話に不自由があった。父は氏子狩に応じた木地師… 続きを読む
秋山忠三郎
〔人物〕大正7年鳴子の秋山忠、やよ江の三男に生まれた。秋山忠市は長兄。昭和7年に鳴子尋常高等小学校を卒業後、トタン屋の職を2年ほど勤めた。昭和16年22歳頃より父忠について木地の技術を習得した。昭和18年川崎の日本鋼管株… 続きを読む
秋山忠男
〔人物〕 昭和17年11月7日、宮城県玉造郡鳴子町の木地業秋山忠市・かうの長男に生まれる。昭和36年県立古川高等学校を卒業、父忠市について木地を修業した。昭和40年頃よりこけしの製作を始めた。昭和45年4月東京こけし友の… 続きを読む
秋山かう
〔人物〕大正6年2月1日生まれ。宮城県玉造郡鳴子町の秋山忠市の妻女。秋山忠男の母にあたる。 夫の忠市は昭和18年に応召、22年に復員してこけしの製作を再開したが、そのころ忠市の木地にかうも描彩をしたことがある。数は多くな… 続きを読む
我妻真人
〔人物〕昭和50年3月28日、仙台市の我妻敏の長男に生まれる。昭和63年に仙台市太白区秋保町湯元に「秋保工芸の里」がオープンすると、一家はそこに移って「我妻こけし製作所」を開き、こけしの製作を続けた。平成6年4月より父の… 続きを読む
我妻定男
〔人物〕昭和15年11月3日、宮城県仙台の農業我妻留三郎の四男に生まれる。昭和30年16歳より、仙台の我妻吉助に師事して木地の修業を行い、昭和38年に年期明けとなった。その後も継続して吉助方の職人を勤めたが、昭和50年1… 続きを読む
我妻勇
〔人物〕昭和9年8月10日、宮城県蔵王町七日原の農業我妻亀吉の六男に生まれる。昭和28年より、遠刈田新地の佐藤照雄に師事して木地業に就き、また昭和35年からは仙台の我妻吉助について技術を磨いた。昭和48年に白石で独立した… 続きを読む