タグ別アーカイブ: 佐藤寅治

佐藤とも江

〔人物〕佐藤とも江はこけし界では聞き慣れない名前である。遠刈田の工人佐藤護の姉であり、村上玉次郎の母にあたる。  明治34年6月8日に遠刈田新地の佐藤寅治、「もと」の三女として生まれる。大正9年9月24日に村上蔵吉と結婚… 続きを読む

第4回内国勧業博覧会

京都岡崎公園で開催された四回目の内国勧業博覧会。当初は、明治27年に開催される予定であったが、京都の建都1100年の記念事業として、明治28年に開催したいとの京都市民からの要請を受けて、この年の開催となった。明治27年に… 続きを読む

佐藤周吾

〔人物〕明治14年11月10日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の木地業佐藤周治郎、里うの二男とし てに生まれた。母の里うは刈田郡関村の小椋榮三郎の長女、弥治郎の佐藤栄治は里うの従兄にあたる。明治26年より父周治郎につき足踏ロ… 続きを読む

佐藤寅治

〔人物〕 慶応2年11月18日、宮城県刈田郡宮村161(遠刈田新地)の佐藤周右衛門、志の二男に生まれた。母志のは刈田郡曲竹の松嵜長兵エの長女。寅治は明治10年12歳より父周右衛門につき二人挽きロクロを修業した。明治17年… 続きを読む

北岡木工所

宮城県遠刈田温泉の木地商北岡仙吉が開設した木地工場。 北岡仙吉 橘文策撮影 北岡仙吉は明治16年5月17日の生まれで、父は北岡仙太郎(明治35年没、享年49歳)。 明治38年は凶作で、湯治客も減少し、遠刈田地方は疲弊した… 続きを読む

佐藤治平

〔人物〕 明治16年1月11日、遠刈田新地の佐藤菊治、よねの三男に生まる。佐藤重松、重吉は兄。明治28年尋常小学校を卒業し、13歳で青根の丹野工場の職人をしていた兄重松につき木地を修業した。明治29年、重松が新地に引き上… 続きを読む

佐藤栄治(飯坂)

〔人物〕慶応元年4月10日、宮城県刈田郡八宮村九番地(現在の弥治郎)農業毛利丈助、はるの四男に生まれた(母の名をタケとする説もある)。長兄三治、さらに慶吉、重五郎の兄がいた。明治9年父の丈助が亡くなり、長兄三治が家督を継… 続きを読む

大原正吉

〔人物〕 明治43年2月25日宮城県刈田郡遠刈田新地佐藤寅治・もとの七男に生まれる。周治郎は伯父、直治、直助は叔父、佐藤護は兄にあたる。尋常小学校卒業後、大正12年13歳の頃より父寅治について木地を学んだ。当時、父寅治や… 続きを読む

佐藤周右衛門

〔人物〕 天保3年4月14日、佐藤亥之松の長男として刈田郡宮村(遠刈田新地)に生まれる。戸籍上では佐藤七右衛門長男となっているが、七右衛門は周治郎家の家号で、通称亥之松という。木地挽きの修業開始年代は不明だが、二人挽き時… 続きを読む

佐藤護

〔人物〕 明治36年6月1日遠刈田新地の木地業佐藤寅治の三男として生まれる。周治郎・直治(小原)・直助は父寅治の兄弟であり、護の伯父、叔父にあたる。大正4年小学校卒業後、正式に父寅治について木地を学んだ。大正5年父寅治が… 続きを読む