加山道之助

大正期に、こけしを集めた横浜の蒐集家。橋田素山と並んで極初期の玩具蒐集家である。 こけしも古いものを多く集めていたがその殆どを関東大震災で焼失した。 昭和14年に稲垣武雄におくられた二尺の飯坂古品は有名〈こけし手帖・45、53〉。

加山道之助から稲垣武雄に贈られた二尺の飯坂古作。
加山道之助から稲垣武雄に贈られた二尺の飯坂古作。

加山道之助は、明治10年(1877年)の生まれで、家業は質屋。、横浜史談会を主宰し、横浜郷土史研究会の会員でもあった。雅号は可山。玩愚洞可山人とも称した。
加山は、元は中区真砂町に住んでいたが、関東大震災で焼け出され、一時鶴見に仮寓し、昭和4年(1929年)53歳の時に篠原町に転居、昭和19年(1944年)に68歳で亡くなった。

kayama

 横浜開港資料館『開港のひろば』第30号では、横浜人物小誌第22回として、横浜市史編纂主任加山道之助を取り上げている。横浜市史の編纂は、大正9年(1920年)に着手されたが、震災で全てが灰燼に帰したので、堀田璋左右(東京帝国大学史学科を卒業した歴史学者、横浜市史編纂主任を務めた。吾妻鏡標註など国史に関する著作が多い)の後をついだ加山によって〈横浜市史稿〉(全11冊)の編纂が行われ、昭和6~8年(1931~33年)に刊行された。「横浜市史稿風俗編」は加山の執筆という。
なお、加山道之助は若い時から俳人としても有名であり、『可山句抄』全402句がある。

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