武田信吉

武田信吉(たけだしんきち:1921~1994)

系統:山形系

師匠:武田卯三郎

弟子:武田信一

〔人物〕大正13年9月23日、武田卯三郎二男として天童市に生まる。昭和5年父卯三郎は機業が盛んであった米沢に移って木地工場の職人となった。昭和7年信吉は家族と共に父卯三郎のいる米沢市に移り市内桜木町(当時の町名は桶屋町)に住んだ。昭和11年父卯三郎は桜木町の自宅に轆轤を設置して独立した。信吉は昭和13年に高等小学校を卒業すると卯三郎の工場にはいって木地技術を習得し、主に機業関係の木地製品を挽いた。昭和18年入営、同21年帰郷後は工場で木地業に復帰した。昭和23年頃からは弟の正志も木地を始め、一家三人で木地業を続けた。昭和26年に長男信一が生まれた。昭和28年父の死後は工場を受け継いだが、昭和32年に米沢市花沢町に住居と工場を移設した。弟正志は昭和33年に独立し米沢市東2丁目に移った。長男信一も学校を卒業後、木地の技術を継承し、昭和61年頃にこけしの製作を行った。
平成6年9月16日没、行年74歳。
 

〔作品〕昭和34年ころから小関幸雄のすすめで、父卯三郎の型を作り始めた。卯三郎型はやや表情の甘い作風だった。その後、新型の製作が忙しくなり、伝統の型はあまり作らない時期が続いた。
父卯三郎は山形の小林吉次について木地を学んでいた関係で、昭和50年代に入ると信吉は小林一家のこけしの型を製作するようになった。昭和53年には、その型で白石の全日本こけしコンクールで最高賞を受賞した。下掲はその当時の作風である。


〔26.0cm(昭和54年)(ひやね)〕

 

〔伝統〕山形系
父卯三郎の型と小林一家の型を作った。

 

〔参考〕

[`evernote` not found]