佐々木與五郎

佐々木與五郎(ささきよごろう:1893~)

系統:南部系

師匠:佐々木角次郎

弟子:

〔人物〕明治26年12月21日岩手県稗貫郡湯口(志戸平)の佐々木角次郎、リンの三男に生まれる。祖父は与市、長兄は与始郎である。戸籍表記で祖父、長兄は「与」を次兄與初から「與」の旧字体になる。與五郎は子供時代から家業の木地を身につけたが、祖父の与市も健在で、作業場では三代の木地師がロクロを並べて仕事をしていたという。ただし祖父の与市は、與五郎が15歳のときなくなっているので、下図のように4人で木地を挽いた期間は短かったかもしれない。
 

與五郎は大正3年に兵役に付いたが、大正6年に除隊になって志戸平に帰り、まもなく花巻に出て菓子製造業を始めた。
戦後も健在で、昭和44年には次のような思い出話をしていた。
「明治38年13歳の夏から木地を習い始めた。はじめはコマ、こけしなどを挽いた。角次郎の弟の要吉のこけしは見たことが無いのでどんなものかわからない。私が木地を習い始めてしばらくした頃、三越から大量のこけしの注文が来て、家族で挽いた。祖父与市のこけしは、兄与始郎に比べて胴のくびれがずっと細く、小さな幼児でも握って振れる様になっていた。」
三越からの注文で作ったものは、おそらく明治42年から始まった三越の児童博覧会に出品されたのであろう。


佐々木與五郎 昭和44年 撮影:橋本正明

没年は不明である。

〔作品〕作品は未確認。

下掲は昭和44年に橋本正明が花巻で菓子店を営んでいた佐々木與五郎を訪ねた時、「大正6年に兵役から帰り、まもなく花巻に出たが、その時持参した長兄与始郎のもの」と言って渡したもの。50年以上與五郎が大切に持っていたこけしである。


佐々木与始郎〔23.6cm(大正中期)(橋本正明)〕 佐々木與五郎旧蔵

〔伝統〕南部系

〔参考〕

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