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梅津春一

〔人物〕昭和26年11月16日、山形県米沢市の木地業梅津春雄の長男に生まれた。昭和42年17歳より父の春雄の指導の下に木地を挽くようになった。昭和45年県立米沢高等工業学校建築科を卒業した。木地一般の挽物が主であるが、昭… 続きを読む

梅木直美

〔人物〕 昭和43年2月1日、山形県山形市のこけし工人梅木修一の二女に生まれる。高等学校を卒業後、地元の会社に就職、20歳ころよりこけしの描彩を始めた。 会社勤めを続ける傍ら、平成元年ころより本格的にこけし製作を学び始め… 続きを読む

石山よね子

〔人物〕昭和7年2月23日、山形県山形市高瀬の農業鑓水清右衛門の長女に生まれる。昭和29年に山寺字南院のこけし工人石山和夫と結婚した。石山敏幸は長男。夫和夫の仕事を手伝ううちにこけしの描彩に関心を持つようになり、昭和47… 続きを読む

石山敏幸

〔人物〕昭和31年7月27日、山形市山寺字南院のこけし工人石山和夫、よね子の長男に生まれる。石山三四郎は父和夫の兄であり、伯父にあたる。昭和53年23歳より父の和夫についてこけし製作の指導を受けた。   〔作品… 続きを読む

石山健一

〔人物〕昭和21年7月26日、山形県山寺の石山三四郎、きくの長男に生まれる。石山和夫は叔父にあたる。昭和37年中学校を卒業後、国立職業訓練所に入り、そのまま同所の溶接工場に勤めた。退所後一時上京して働いたが、間もなく山形… 続きを読む

石沢寅雄

〔人物〕 大正15年12月3日石沢角四郎・むねの長男として山形県釈迦堂に生まれる。東沢尋常高等小学校卒業後、溶接工として日本飛行機㈱に勤めた。戦後、山形市内の工場に勤務。ずっと木地には関係しなかったが、昭和40年11月よ… 続きを読む

阿部四郎兵衛

信夫郡土湯村(福島県)の名主で、木地業も行っていた。当主は代々家名の四郎兵衛を名乗った。弘化2年君ケ畑(1845)、嘉永2年蛭谷(1849)、安政4年蛭谷(1857)、明治5年君ケ畑(1872)の氏子狩に応じている。下掲… 続きを読む

阿部作雄

〔人物〕大正3年5月25日、福島県土湯温泉蔦屋の阿部与作の四男に生まれた。佐藤左志馬に師事して、昭和51年60歳を過ぎてから、こけしの製作を始めた。 平成12年12月20日没、行年87歳。   〔作品〕師匠左志… 続きを読む

阿部国松

文政9年12月14日、福島県土湯字下ノ町の阿部四郎兵衛の長男に生まれた。戸籍表記は國松。ソノ、辰吉(戸籍名辰之助)、利助、栄七、タカ の弟妹がいたが、国松とソノ、辰吉には共に発話に不自由があった。父は氏子狩に応じた木地師… 続きを読む

秋山忠三郎

〔人物〕大正7年鳴子の秋山忠、やよ江の三男に生まれた。秋山忠市は長兄。昭和7年に鳴子尋常高等小学校を卒業後、トタン屋の職を2年ほど勤めた。昭和16年22歳頃より父忠について木地の技術を習得した。昭和18年川崎の日本鋼管株… 続きを読む