〔人物〕昭和36年10月22日に宮城県栗原郡栗駒町の農業千葉茂、トヨ子の3人兄弟の末子として生まれた。父の茂は米作も行っていたが、高い利益率のいちごと大根の収穫に力を入れた。友一は栗駒町立栗駒中学校を昭和52年3月に卒業… 続きを読む
〔人物〕昭和36年10月22日に宮城県栗原郡栗駒町の農業千葉茂、トヨ子の3人兄弟の末子として生まれた。父の茂は米作も行っていたが、高い利益率のいちごと大根の収穫に力を入れた。友一は栗駒町立栗駒中学校を昭和52年3月に卒業… 続きを読む
〔人物〕大正14年1月5日生まれ。鳴子のこけし工人大沼純の妹敬子と結婚した。結婚後義兄の大沼純に師事してこけしを製作したが、その後仙台での会社員としての勤めが本業となり、こけしを市場に出すことは行わなくなった。 &nbs… 続きを読む
〔人物〕生年月日不明。白石のこけし販売業宮城物産で扱ったこけしの描彩者。 鳴子系のこけしの描彩を行った。宮城物産の職人の木地に描彩したと思われる。 〔作品〕鳴子の一般的な様式の菱菊のこけしを作った。 〔24.0cm(昭和… 続きを読む
天保4年5月23日、宮城県玉造郡鳴子の高橋直四郎、久の長男に生まれる。高橋家は初代佐左衛門、二代佑左衛門、佑左衛門の一人娘久に入り婿となった三代直四郎と続いた漆器商であった。父直四郎は若くして没したため、久に高橋万右衛門… 続きを読む
〔人物〕昭和34年10月7日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷のこけし工人大沼力の二男に生まれる。 昭和53年4月高校を卒業してから父の大沼力について木地を学び、こけしを製作するようになった。秀則名義作品は昭和54年から出してい… 続きを読む
〔人物〕昭和15年4月16日生。昭和31年より宮城県鳴子温泉の及川正夫商店の職人となり、佐藤俊雄の指導により木地を修得した。こけし作りは見取り学問である。昭和33年11月発行の〈こけしガイド〉の初版で写真紹介された。昭和… 続きを読む
〔人物〕 昭和31年5月2日、宮城県玉造郡鳴子町上鳴子のこけし工人松田三夫、淑子の長男に生まれる。中学校時代より木地挽きに親しんでいたが、昭和50年岩出山高等学校を卒業して、昭和52年より祖父松田初見、父松田… 続きを読む
〔人物〕明治38年3月10日、岩手県稗貫郡花巻町東町(現花巻市)に生まれる。大正4年ころ、青森県浅虫で開業していた姉よねの夫、鳴子出身の伊藤松三郎に弟子入りして木地の修業を行った。 大正5年頃より毎年松三郎にしたがって北… 続きを読む
〔人物〕 昭和11年9月19日、鳴子に生まる。父は鳴子の塗師高野一平。昭和27年より及川正夫商店の職人となり、大沼健三郎、佐藤俊雄の指導により木地を修得した。こけしは見取り学問である。〈こけしガイド〉初版で紹介されたが、… 続きを読む
〔人物〕昭和10年6月15日、鳴子の五十嵐丑蔵、ちよの長男に生まる。昭和24年鳴子中学校を卒業後、昭和25年より36年まで桜井昭二の弟子となり木地修業。遊佐泰雄は弟弟子。この間、昭和33年には一年間仙台へ出て竪口クロを学… 続きを読む