カテゴリー別アーカイブ: 工人

田中一也

山形の木地職人。生年月日等不明。田中信也は弟にあたる。吉田慶二の〈聞書き・木地屋の生活〉によれば、小林吉太郎の小橋町時代(明治43年から大正6年)に兄弟ともに職人だったという。 その後大井沢に椀類を挽きに行ったことがある… 続きを読む

小林広友

〔人物〕昭和26年8月12日、米沢市東大通りの小林友次、キクエの次男として生まれた。家業が木地屋であったので、父の友次、兄の泰造の指導の下に木地を挽くようになった。主に木地下を挽いており、描彩はほとんどしていないと思われ… 続きを読む

佐藤七之助

〔人物〕 明治33年1月21日、岩手県江刺郡岩谷堂に生まれる。父は大工であったが、七之助は身体が弱く、家業を継ぐのが難しいと思われたので、15歳の時に及川吉三に師事してダライバンによる木地挽きを学んだ。 及川吉三はこの当… 続きを読む

小林鶴次

秋田県登町の木地師。秋田県仙北郡生保内字宮ノ後の出身。木地師の系譜は不明。秋田市登町で独立開業。明治45年6月、亀治の養子正吉が、大正11年には亀治の次男友次が入門して木地を修業した。従来の文献では鶴次が兄で亀治が弟とな… 続きを読む

佐藤源吉

山形県蔵王高湯(蔵王温泉)の岡崎長次郎の弟子。〈鴻〉によると昭和16年以前に転業しているが、生年月日出身地やその後の消息は不明である。こけしは雇われた職人と同様に長次郎描彩こけしの木地を挽いたものと思われる 。

舟生門蔵

明治31年(推定)山形県最上郡真室川町及位に生まれた。家は農業。明治45年より大正8年頃まで及位駅前の佐藤文六の弟子となり木地を修業した。そして文六が佐藤盛昭から引き継いだ及位木工場で働いた。 大正8年ごろの及位駅前佐藤… 続きを読む

佐藤敬弥

明治26年、福島県伊達郡小国村で生まれた。高橋忠蔵の遠縁の人で飯坂鯖湖の渡辺角治の弟子となった。3年間〈土湯木でこ考〉、または7年間〈こけし木地師の周辺双書・2〉弟子として修業につとめたが、忠蔵より1年後、大正8年に辞め… 続きを読む

国分惣作

明治14年10月21日、宮城県刈田郡福岡村字本154の国分寅吉、とめの長男として生まれた。明治22、3年頃、新山栄五郎が弥治郎で独立して初めて雇用した弟子の一人となった。こけしを製作したかどうかは不明であるが、惣作が弟子… 続きを読む

大野定良

〔人物〕昭和6年4月13日、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉のこけし工人大野栄治、はつの長男として生まれた。父栄治より正式には習っていないが、高等小学校を卒業したころより見取りで木地を試作するようになった。昭和28年6月23… 続きを読む

高橋はじめ

〔人物〕新型のこけし作者。 大正7年に宮城県仙台市生まれた。新型こけしの作者として活躍し、全日本こけしコンクール等で各賞をたびたび受賞、昭和42年全国こけし人形展では内閣総理大臣賞などを受賞している。また平成8年には宮城… 続きを読む