青森県大湯の長谷川清一、休屋の高瀬善治に木地の指導を行った。日光木地師で山形付近で木地を挽いていたこともあるらしい。生没年等詳細は不明。こけし作者ではないと思われる。
カテゴリー別アーカイブ: 工人
斎藤虎蔵
従来、斉藤虎丸の名で伝えられたこともあったが虎蔵が正しい。明治32年頃、山形市地蔵町の水口屋(山形県の醤油醸造元)に生まれた。山形市小橋町時代の小林吉太郎の弟子で、大正6年に吉太郎とともに米沢に移り、年季が明けた以後も吉… 続きを読む
山谷藤吉
〔人物〕慶応元年10月1日、青森県温湯鶴泉の木地業山谷太兵衛(永吉)、いわの長男に生まれた。家名太兵衛、従来多兵衛と書かれる場合が多かったが戸籍表記では太兵衛である。母は板留村の花田惣左衛門の長女。 〈こけし手帖・41)… 続きを読む
山谷太兵衛
〔人物〕山谷家は青森県温湯鶴泉に移ってきて木地屋を開業し代々太兵衛を名乗っていた。 木村弦三著の〈陸奥のこけし〉で多兵衛と表記されて以来、多兵衛でよく知られているが戸籍表記では太兵衛が正しい。こけし工人で知られる山谷権三… 続きを読む
水野達也
〔人物〕明治21年5月30日、水野為蔵、むつの三男として生まれた。昭和14年に〈こけしと作者〉で紹介され当時、旭川市常盤町二丁目にいた。〈こけしと作者〉で橘文策は「手ぎれいな彩色を施した所なかなか清楚なものであるが、表情… 続きを読む
鈴木竹志
山形県蔵王温泉の斎藤源吉の晩年の弟子。米沢市出身。新型こけしの木地を挽いていたが伝統こけしを製作するため、改めて昭和27年25歳ぐらいで源吉に弟子入りした。こけしの木地を挽き、若干描彩もしたというが作品は確認されていない… 続きを読む
佐藤栄作
明治30年5月9日、佐藤栄四郎の四男として遠刈田に生まれた。周助、雪之助、栄治郎は兄である。従兄にあたる弥治郎の新山栄五郎について木地の修業を行った。〈蔵王東のきぼこ〉によると兄弟子に国分惣作、国分祝、新山栄助等がいた。… 続きを読む
佐藤春吉
明治10年4月20日、宮城県柴田郡金ケ瀬村に河内大吉二男として生まれた。明治34年佐藤茂七の二女さんと結婚し、婿養子となった。義兄の佐藤吉郎平より木地を習い、明治40年に分家して、遠刈田新地で木地業を続けた。 大正3年に… 続きを読む
長沢延太郎
小倉よし
弘化3年8月10日、宮城県刈田郡深谷村佐藤勇治、はつの長女に生まれた。弥治郎の小倉嘉蔵の妻、嘉吉の母、嘉三郎の祖母である。二人挽き時代に綱取りもし、こけしの描彩も担当したが、描彩は当時弥治郎で一番上手とされていた。確認で… 続きを読む