山本与右衛門

〔人物〕 明治26年岩手県盛岡市に生まれる。家は代々の木地師であったという。その後、一ノ関市に転居し、一ノ関でも木地を挽いた。 山本与右衛門のこけしは橘文策によって〈木形子談叢〉で紹介された。同書によると、橘文策は昭和9… 続きを読む

山谷きよ

〔人物〕 明治45年3月21日、青森県南津軽郡山形村牡丹平に生まる。渡辺三次郎、さわの六女。昭和15年先妻ハルを亡くした山谷権三郎と結婚、後妻となった。権三郎との間に敏光・ミチヱの二子を設けた。先妻ハルの子敏一がいたが、… 続きを読む

山谷清

〔人物〕 大正14年5月13日、青森県温湯の木地業山谷権三郎、ハルの長男に生まれる。昭和13年高等小学校卒業後、父権三郎について木地を習得、その頃よりこけしも製作した。戦後は郵便局などに勤めたので、こけしはほとんど作らな… 続きを読む

山谷権三郎

〔人物〕 明治34年9月20日、青森県温湯の木地業山谷藤吉、すみの長男に生まれる。山谷の家は代々家名太兵衛(多兵衛)でおそらく家督は、この家名を踏襲していたと思われる。父藤吉の戸籍表記は太兵衛である。権三郎には弟に藤一、… 続きを読む

山谷太兵衛

〔人物〕山谷家は青森県温湯鶴泉に移ってきて木地屋を開業し代々太兵衛を名乗っていた。 木村弦三著の〈陸奥のこけし〉で多兵衛と表記されて以来、多兵衛でよく知られているが戸籍表記では太兵衛が正しい。こけし工人で知られる山谷権三… 続きを読む

山谷藤吉

〔人物〕慶応元年10月1日、青森県温湯鶴泉の木地業山谷太兵衛(永吉)、いわの長男に生まれた。家名太兵衛、従来多兵衛と書かれる場合が多かったが戸籍表記では太兵衛である。母は板留村の花田惣左衛門の長女。 〈こけし手帖・41)… 続きを読む

山谷敏一

〔人物〕  昭和10年5月29日、青森県温湯の木地業山谷権三郎・ハルの6人兄弟の末子に生まれる。山形第一中学校在学中より家業である木地業を手伝った。昭和26年中学卒業後は本格的に兄の清と木地挽きを行い、鳴り独楽、ズグリ、… 続きを読む

山谷三千男

〔人物〕 昭和11年10月5日、薬局経営山谷繁太郎、チヨの四男として青森県黒石市温湯鶴泉に生まれる。黒石高等学校在学中に事情があり家を離れ、東京の友人を頼りに旋盤工等の仕事をした。その後独学で薬剤師の免許を取得して家業を… 続きを読む

山谷レイ

〔人物〕 昭和11年12月13日生まれ。昭和15年、母きよは娘レイをつれて山谷権三郎の後妻となった。レイは山谷権三郎の長男清と結婚。 昭和58年1月に夫の山谷清がなくなったので、山谷のこけしの型を継承すべく母の山谷きよに… 続きを読む

遊佐幸太郎

明治14年1月15日、鳴子の遊佐善六の長男に生まれる。木地業に就いたがその師匠は詳らかではない。父の遊佐善六は沢ロ吾左衛門文書に塗師として記載されている。沢口悟一の地図では鳴子の通りの東方、山側の角に善六の家がある。善六… 続きを読む