小倉嘉蔵

天保10年12月5日、宮城県弥治郎の農業、木地業小倉嘉七、くまの長男に生まれた。小倉家の当主は代々加右衛門を名乗った。弥治郎山の合判に休右衛門、二右衛門、加右衛門の名があるが、加右衛門は小倉家の祖である。木地の技術は父の… 続きを読む

小椋勝雄

〔人物〕明治42年8月13日、秋田県雄勝郡稲川村大館の木地師小椋米吉、ツメヨの長男に生まれた。小椋俊雄は次弟である。大正4年12月に一家は北海道枝幸郡原野に移住し、さらに大正7年北海道上川郡神楽村神楽町本通(旭川)に移っ… 続きを読む

小倉勝志

〔人物〕 昭和22年11月22日弥治郎の小倉篤の長男として生まれる。昭和37年3月福岡中学校卒業後、農業に従事。昭和41年頃より冬期のみ父篤について木地を修業した。昭和43年10月に父篤が病に倒れ急逝したので、親戚や弥治… 続きを読む

小椋カネ

〔人物〕明治元年10月13日、小椋徳右衛門・マサの長女として、秋田県雄勝郡川向村二五六番地(現在秋田県湯沢市皆瀬水上沢)に生まる。小椋久四郎・石蔵等の姉にあたる。明治24年10月、川連町大舘の塗師の小野寺梅太郎と結婚。 … 続きを読む

小椋亀重

〔人物〕明治21年12月20日、石川県輪島に生まれた。会津で木地の修業を行い、輪島、川連などで木地職人として働いた。この間に所帯を持ったが、妻女は木地山の小椋久太郎の遠戚にあたる。小椋亀代司は息子である。戦後、岩手県盛岡… 続きを読む

小椋岩右衛門

小椋信右衛門の子。信右衛門一族は文化10年(1827)に近江を出て信州に移り、文政年間に宮城県玉造郡中山平に漂移し、蛭谷系の氏子狩に応じた。岩右衛門は天保七年(1836)の飢饉に追われて羽後に入り、雄勝郡高松村桂沢に木地… 続きを読む

小椋久四郎

〔人物〕明治11年7月19日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向二五六の木地業小椋徳右衛門・マサの四男に生まる。母マサは小椋勇右衛門の妹である。亀治、庄太郎、米蔵は兄、石蔵は弟である。姉カネは塗師小野寺梅太郎の嫁となった。木地は父徳… 続きを読む

小椋久太郎

〔人物〕 明治39年7月30日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向(木地山)の木地師小椋久四郎、キクの二男に生まれる。留三は実弟、石蔵は叔父、正治は従兄にあたる。 稲庭の母方の祖父栗原久之助の家に寄宿して、稲庭尋常小学校に通学した。… 続きを読む

小椋亀代司

〔人物〕昭和2年9月29日、石川県輪島に生まれた。職業軍人となり、戦後盛岡に移って父小椋亀重について木地を習得した。その後、盛岡市城西町12番22号にて新型こけしを主に木地業を営んでいた。 〔作品〕旧型こけしは昭和37、… 続きを読む

小椋慶次郎

〔人物〕 明治33年9月20日、秋田県雄勝郡大館の木地業小椋運治の次男として生まれる。長兄は小椋啓太郎、弟に与三郎がいた。父運治の兄は養治で、養冶の長男が泰一郎であり、慶次郎と泰一郎は従兄弟にあたる。 長男啓太郎は運治の… 続きを読む