菅野富男

〔人物〕昭和5年3月5日、福島県土湯温泉坂の上の菅野義一、タツの長男に生まれた。父義一の祖父は扇屋の阿部仙太郎である。長らく北芝電機の保養所に勤めた。昭和43年に自家にロクロを設置し、木地を挽くようになった。こけしは特に… 続きを読む

菅野実

〔人物〕大正10年3月15日、仙台市川内大工町の国鉄職員菅野千代吉、とめの二男に生まれた。一家は小学校6年生の時、岩手県盛岡市に移住した。昭和13年3月盛岡の旧制中学校を卒業し、国鉄盛岡保線区に勤務した。昭和17年に右肢… 続きを読む

菊地啓

〔人物〕 大正12年2月28日、宮城県柴田郡川崎町青根温泉の木地業菊地孝太郎の六男に生まれた。こけしは昭和は37年頃より描彩のみ少しづつ行っていたが、長兄の菊地孝治、次兄の菊地正がともに木地業を離れたので、菊地啓は昭和4… 続きを読む

菊地英次郎

宮城県加美郡宮崎村湯川(現在の宮崎町)の出身。菊地三九郎の弟である。明治37年ころ、兄三九郎の師匠である鳴子の高橋勘治の弟子となり3年間木地を作業した。勘治につれられて、盛、忠志、誓と共に烏川(加美郡宮崎村との境の山)へ… 続きを読む

菊地勝三郎

宮城県柴田郡川崎村川崎の出身。明治7年頃の生まれ。青根の菊地きよし戸籍名きよは姉にあたり、きよしの婿が茂平(安政松年頃の生まれ)である。きよし、茂平夫婦の養子に山形出身できよしの甥にあたる孝太郎が入った。勝三郎は明治19… 続きを読む

菊地孝太郎

〔人物〕明治28年1月29日、山形県に生まる。大宮儀七、ユキの子。6歳のとき青根の木地業菊地茂平、きよの養子となった。義父の茂平は中年になってから青根の佐藤久吉の弟子となり、茶筒、盆などを挽いた工人であった。 明治40年… 続きを読む

菊地三九郎

宮城県加美郡宮城村湯川(現在の宮崎町)の出身。明治28年19歳の時、鳴子の高橋勘治の弟子となる。約3年間の年期奉公の後、宮崎村へ帰った。こけしも作ったといわれるが未確認。菊地英次郎 は三九郎の弟である。

菊池清造

鳴子の高亀で戦前一時期(昭和17~19年頃)、また戦後は昭和30年代初期まで新型こけしの描彩者として働いたことがある。 その後、創作こけしを考案描彩したり、鳴子こけしの木地に切り紙で高亀風の面描、胴模様を貼付した切り紙こ… 続きを読む

菊籬

陶淵明の有名な「飲酒 第五首 悠然望南山」に因んで描かれる菊花と籬の模様。 結廬在人境 而無車馬喧 問君何能爾 心遠地自偏 采菊東籬下 悠然見南山 山気日夕佳 飛鳥相与還 此中有真意 欲辨已忘言 菊籬文様は衣装・装束、漆… 続きを読む

岸正章

〔人物〕 昭和34年1月14日宮城県鳴子町木地業岸正規の長男に生まれる。昭和58年4月25歳より父正規について木地を修業した。同年8月よりこけしを店頭に並べるようになった。岸正章のこけしについては、こけし千夜一夜物語第4… 続きを読む