佐藤良子

〔人物〕昭和14年9月5日仙台の会社員石川駒蔵の二女に生まれる。一家は良子が生まれた後、満州に渡ったが、戦後仙台に戻り、引き揚げ寮に住んで農業を行っていた。その仙台市幸町の実家の前に木地屋があって、毎日自家でつかう風呂の… 続きを読む

佐藤良二

〔人物〕  昭和13年10月1日佐藤伝の長男として、弟子屈温泉にうまれる。父伝は、戦後長くこけし作りから離れていたが、高松の秋田亮の勧めにより、昭和32年秋より再開して蒐集家からの注文に応じるようになった。良二… 続きを読む

里見正雄

〔人物〕大正11年1月24日、仙台市福沢の鉄道員里見久作、さつのの長男に生まれた。 仙台市宮城野小学校をへて昭和12年図南中学校卒業、鉄道員となった。徴兵により水戸の航空通信隊に入隊、樺太をへて北海道帯広にて終戦除隊とな… 続きを読む

里見正博

〔人物〕 昭和23年11月4日、宮城県仙台市原町南目町のこけし工人里見正雄の長男に生まれた。昭和42年高等学校を卒業、昭和43年一家は宮城県仙台市青葉区芋沢に新居と工場を建てて転居した、正博は一時会社員勤めをして家から離… 続きを読む

佐野健吉

品川新宿の山三駿河屋呉服店主(実際には布団屋に近い業態であったという)。 明治30年代から大正時代にかけてこけしを蒐集、少量高値で趣味人に頒けた。趣味多く、冨士講の世話人(先達)をしたり、千社札を貼り歩いたりもしていた。… 続きを読む

佐野強

〔人物〕昭和2年9月5日、東京の佐野教治二男に生まれた。日大芸術学部卒業し、洋画家として出発した。昭和39年より仙台にいた広井道顕、政昭兄弟について木地を習得し、こけしの製作も始めた。横浜、富士市と転居したが、画作の合間… 続きを読む

茶房鴻

昭和15年より17年にかけて渡辺鴻、亜沙夫妻が東京市世田谷区松原町1-31の自宅応接間を工夫して、こけし収集家に開放していた小さな喫茶店。 京王線代田橋の付近にあった。入口に朝鮮の天下大将軍の門柱があり、内部の壁一面のガ… 続きを読む

沢口悟一

大正から昭和にかけて活躍した鳴子出身の漆工芸研究家。 明治15年3月19日、宮城県玉造郡鳴子に生まれる。父は鳴子漆器改良組合長であった沢口吾左衛門。東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業。東京工業試験所に所員として務めた… 続きを読む

沢ロ吾左衛門文書

明治21年4月、鳴子漆器改良組合長沢口吾左衛門は、宮城県知事に鳴子の各種職工、生産額および販路に関する報告書を提出した。その控えとして手元に残していたものが西田峯吉によって〈鳴子・こけし・工人〉に掲載紹介された。その控え… 続きを読む

沢田九郎兵衛

生年月日、経歴等は不明であるが、沢田家は、間宮、村井、油川、田中等の諸家と共に大鰐の古い 居木地師である。木村弦三は〈木形子異報・6〉で明治20年の沢田九郎兵衛の挽物値段控帳について下記のように紹介している。 「今は死ん… 続きを読む