
明治26年11月11日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤の善八長男として生まれた。明治40年より父善八につき木地を修業し、大正元年ころより及位の佐藤文六の工場で職人をした。大正5年ころ一時遠刈田に帰郷し、その後仙台に行って東… 続きを読む
明治26年11月11日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤の善八長男として生まれた。明治40年より父善八につき木地を修業し、大正元年ころより及位の佐藤文六の工場で職人をした。大正5年ころ一時遠刈田に帰郷し、その後仙台に行って東… 続きを読む
〔人物〕昭和60年3月9日、福島県双葉郡富岡町に生まれる。平成19年3月に苫小牧駒沢大学国際文化学部国際コミュニケーション学科(現在は国際文化学科)を卒業する。若い頃よりアイヌ文化や蝦夷地の勉強をしたかったので、この学校… 続きを読む
子供の玩具としてのこけしを直接のスタートととして持たず、収集家・業者等の指導・要請により発生したこけしで、外面的には一見伝統の衣装をまとっているが、伝統的な系譜と直結していないこけしを一般型と総称する。 戦前のこけしブー… 続きを読む
秋田県稲川町大館の蒔絵師。腕はよく大館では町一番の蒔絵師と言われた。 大館の小椋正治のこけしのうち特製上手物の描彩は菊一が行っていたという。〈鴻・6〉によると昭和14,5年ころ、描き賃は一般に3銭くらいであったが、菊一の… 続きを読む
天保6年9月4日、鳴子源蔵湯隠居家督大沼三郎治の子として生まれた。長姉ちやに高野屋の又五郎を入家督としたためゆさやの隣に分家した。木地は義兄又五郎より習う。妻まつは秋田県雄勝郡湯沢村尾形伝蔵の長女。長男に勝三郎がいる。 … 続きを読む
明治38年4月24日、宮城県刈田郡八宮村7番地の木地業高梨栄五郎、かめの二男に生まれた。母かめは同村熱海與平治の二女である。栄五郎には先妻とりとの間に長男永がいたが、13歳の時に村にやって来た祭文語りに憧れて出奔し、木地… 続きを読む
明治から大正にかけて山形市旅篭町で開業していた家具屋の主人。 田崎家具店では、岡崎栄治郎、海谷善蔵、佐竹林之助、白川久蔵、石沢角四郎、鈴木幸之助等多くの木地職人が働いた。こけしを挽いたのではなく椅子や机の脚など、家具の部… 続きを読む
明治27年頃、山形県東村山郡鈴川村山家にまれる。大正元年19歳で小林倉吉に入門した。大正7年11月に年期が明けた。昭和14年の〈再版 東北の玩具〉では米沢の工人として紹介されている。兄弟弟子たちによると、仁兵衛は修業時代… 続きを読む
明治27年頃、山形県山辺町大字田小路に生まれた。明治39年8月山形市愛宕町の小林倉治に入門した。明治43年11月に年季明けし、12月仙台第2師団歩兵第2大隊に入隊した。大正2年12月除隊した後、小林家に7ヶ月間お礼奉公し… 続きを読む