宮本惣七

〔人物〕 安政4年4月3日、陸中国磐井郡山目村120番宮本惣内、里さの二男に生まれる。長兄は惣蔵。祖父は宮本惣三郎、母里さは志田郡田尻村の斎藤新八長女。深沢要の宮本永吉からの聞書によると、「木地は、初代が惣助、二代が惣七… 続きを読む

厄除子如来

宮城県鳴子温泉を潟沼の方に登ったところ、大穴のふもとに祀られていた如来。鳴子こけしの起源とこけしの語源に絡んで説明されたことがある。 昭和初期に鳴子木地組合が作った赤い紙のこけし由来記があり、橘文策は〈木形子・第2号〉に… 続きを読む

岩松直治

宮城県作並の木地師岩松直助の息子、おそらく長男と思われる。弟もいたが、弟は明治10年5月10日に、直治は明治11年9月12日に亡くなっている。舎弟は西南の役(西南戦争)に従軍し、そのための死であったと言われている。 過去… 続きを読む

野矢里志

〔人物〕  昭和53年3月23日に会社員、野矢俊文、志津枝の次男として福島県耶麻郡猪苗代町川桁に生まれる。平成8年3月福島県立猪苗代高等学校卒業後、住宅関連の会社に就職する。平成25年10月より父の俊文に師事し木地修業を… 続きを読む

うりはだかえで

うりはだかえで(瓜膚楓、学名:Acer rufinerve Siebold et Zucc.)は、カエデ科カエデ属の落葉小高木ないし高木。雌雄異株まれに同株。カエデ科は、新しいAPG植物分類体系ではムクロジ科に含められて… 続きを読む

平賀貞夫

〔人物〕大正14年3月22日、平賀貞蔵の長男として宮城県仙台市に生まれた。当時貞蔵は仙台でタクシーの運転手をしていた。昭和8年一家は作並に戻って父貞蔵は岩松旅館で働いた。 貞夫は昭和14年に高等小学校を卒業後、国鉄に入り… 続きを読む

菅原敬治郎

生年月日、出身地など不明。大正6、7年の北岡木地講習会の養成工であった。養成期間の後、4、5年間北岡木工所で木地を挽き、玩具などを作ったが、こけしについては不明。その後、刈田郡鬼石原(通称清水原)で農業の傍ら山仕事をして… 続きを読む

照井音治

〔人物〕明治18年12月5日、岩手県稗貫郡湯口付下志沢の農業照井奥太郎の長男に生まれた。 明治21年、音治の父奥太郎は3歳の音治をつれて芸妓と駈け落ちし、宮城県青根温泉へ行って旅館佐藤仁右衛門の番頭となった〈こけし手帖・… 続きを読む

田崎弥蔵

明治から大正にかけて山形市旅篭町で開業していた家具屋の主人。 田崎家具店では、岡崎栄治郎、海谷善蔵、佐竹林之助、白川久蔵、石沢角四郎、鈴木幸之助等多くの木地職人が働いた。こけしを挽いたのではなく椅子や机の脚など、家具の部… 続きを読む

南條徳右衛門

徳右衛門の名前が出たのは〈鴻・3〉および〈こけし手帖・33〉で、いずれも山形小林倉治が木地を習った作並の師匠としてである。但しこの時、姓は岩松で岩松徳右衛門となっていた。 高橋五郎の追求で「萬挽物扣帳」(岩松直助文書)が… 続きを読む