〔人物〕 明治23年10月15日、宮城県遠田郡涌谷の商業秋山清八郎、らんの三男に生まれる。長兄は秋山耕作、次兄は秋山忠である。明治31年一家は鳴子に移った。小学校時代同級生に同名の者が… 続きを読む
〔人物〕 明治23年10月15日、宮城県遠田郡涌谷の商業秋山清八郎、らんの三男に生まれる。長兄は秋山耕作、次兄は秋山忠である。明治31年一家は鳴子に移った。小学校時代同級生に同名の者が… 続きを読む
〔人物〕生年月日出身地など不明。もともと図案等のデザインを手掛けており、山形市香澄町で荒井図案社を経営していた。各種木地製品を製作販売し、大正3年東京上野で開催された大正博覧会の出品者には「山形市香澄町 荒井雅雄」の名が… 続きを読む
〔人物〕明治31年6月5日、岩手県稗貫郡湯口村鉛の藤井梅蔵、トヨの次男に生まる。明治40年10歳のころ、藤友商店(藤友旅館)の職人をしていた小松留三郎や大沼岩蔵の弟子藤井幸左衛門より木地の挽き方を習った。明治45年鉛の藤… 続きを読む
宮城県本吉郡横山村門前(現在の本吉郡津山町横山)に住んでいた鳴子系の木地師。深沢要により昭和9年に発見された横山こけしの作者佐藤善七の師匠として知られている。鳴子で修業した人で日頃から挽物玩具を背負って横山近郊の農家へ売… 続きを読む
〔人物〕 昭和34年1月30日、山形県西村山郡西川町大字大井沢の会社員志田八郎の長男として生まれた。 昭和52年に寒河江工業高等学校電気科を卒業後、河北町谷地で音響関係の会社に勤めた〈山形のこけし〉。 学生時代から祖父… 続きを読む
〔人物〕 昭和23年6月6日、遠刈田新地佐藤照雄の長男として生まれる。昭和38年3月遠刈田中学校卒業後、照雄につき木地修業、昭和39年よりこけしを作り始めた。妻女すみえとの間に一男二女をもうけた。 昭和の末に「遠刈田若手… 続きを読む
〔人物〕青森県南津軽郡山形村大字温湯の木地師。盛家は代々木地業に就き、祖父専四郎、父専四郎(専之丞)に継いで與助も木地業に就いた。與助の長男が元吉、元吉の長男が秀太郎である。生没年月日は不詳。 小児エツコ、子供槌など玩具… 続きを読む
〔人物〕 明治2年10月8日、宮城県玉造郡鳴子村の塗師高野幸作・登(と)よの八男に生まれる。父幸作は旅館業高野四郎作の三男、母とよは高橋万右衛門(現鳴子ホテル)の次女。明治21年4月の沢口吾左衛門文書には高野… 続きを読む
〔人物〕 明治36年10月6日 山形県最上郡最上町向町の農業佐藤好治郎・コンの四男に生まれる。大正5年3月東小国小学校を卒業後、鳴子の高橋武蔵について木地の修業を行った。年期があけた後も、高亀で長く職人として働いた。佐藤… 続きを読む
〔人物〕 昭和25年1月19日仙台市の我妻吉助の長男に生まれる。昭和42年に仙台商業高校を卒業後、日立製作所に入社して仙台支社に3年、東京本社に1年勤務した。その後退社し、昭和47年1月に実家に戻って父吉助について木地の… 続きを読む