宮城県名取郡秋保町湯元。飯坂・鳴子と並んで奥州三名湯に数えられ、伊達家の御入湯場であった。 秋保のこけし作者は秋保の大工太田庄之助の長男太田庄吉が最初で、明治27年ごろといわれる。木地は最初に芋沢にいた今野新四郎について… 続きを読む
宮城県名取郡秋保町湯元。飯坂・鳴子と並んで奥州三名湯に数えられ、伊達家の御入湯場であった。 秋保のこけし作者は秋保の大工太田庄之助の長男太田庄吉が最初で、明治27年ごろといわれる。木地は最初に芋沢にいた今野新四郎について… 続きを読む
こけし作者高橋兵治郎の父で、秋田県川連で塗下木地を挽いていた工人。 高橋徳左衛門は代々徳左衛門で、兵治郎の父も先代徳左衛門(幼名宇一郎)の長男として、安政2年3月11日に川連村で生まれた。木地は初代である。 徳左衛門の師… 続きを読む
内国勧業博覧会は、国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的として、明治期に東京(上野)で3回、京都、大阪で各1回の計5回を政府主導で開催されている。第6回内国勧業博覧会を東京で開催する計画があったが、日露戦争後… 続きを読む
〔人物〕 昭和47年3月1日、こけし工人平賀謙一の長男として宮城県作並に生まれる。 昭和62年ころからロクロに向かっていたが、正式な修業は高校卒業した平成2年3月からであり、こけしもこの時期から製作している。… 続きを読む
〔人物〕昭和9年8月10日、宮城県蔵王町七日原の農業我妻亀吉の六男に生まれる。昭和28年より、遠刈田新地の佐藤照雄に師事して木地業に就き、また昭和35年からは仙台の我妻吉助について技術を磨いた。昭和48年に白石で独立した… 続きを読む
〔人物〕 大正6年10月1日、岩手県和賀郡湯田小林辻右衛門、ちよのの次男に生まる。父辻右衛門は旅館幸助館(後のつるや)の出で、大正10年に木地伝習所を開設、その後小林木工所として営業した。そこに佐藤丑蔵が講師、職人として… 続きを読む
〔人物〕大正14年1月5日生まれ。鳴子のこけし工人大沼純の妹敬子と結婚した。結婚後義兄の大沼純に師事してこけしを製作したが、その後仙台での会社員としての勤めが本業となり、こけしを市場に出すことは行わなくなった。 &nbs… 続きを読む
明治23年8月27日、秋田県小安の農業木地業旅館業の伊藤政治の長男に生まれた。伊藤儀一郎は義兄。伊藤常治は弟にあたる。 父の政治について木地を学び、筆立て、煙草入れなどの木地製品を作った。こけしも挽いたというが、描彩まで… 続きを読む
〔人物〕 大正14年5月14日、青森県西津軽郡森田村の電力会社社員佐藤善吉・ハナの二男に生まれる。名前の読み方は、蒐集界では「ぜんじ」で通っている、ただし正式には「ぜんに」であったと言われている。 昭和19年青森県立木造… 続きを読む
〔人物〕 昭和4年12月5日、福島県安達郡高北川村熱海温泉の農業佐藤孫右衛門の長男に生まれた。渡辺求の以前の家が正の家と向かいあっていたため、子供のころより求に可愛いがられていた。その縁から、国鉄岩代熱海(現磐梯熱海)… 続きを読む