我妻敏

〔人物〕 昭和25年1月19日仙台市の我妻吉助の長男に生まれる。昭和42年に仙台商業高校を卒業後、日立製作所に入社して仙台支社に3年、東京本社に1年勤務した。その後退社し、昭和47年1月に実家に戻って父吉助について木地の… 続きを読む

井上四郎

〔人物〕昭和6年2月14日、福島県喜多方市関柴町字石の堂の小林民衛、セン四男に生まれた。関柴小学校高等科を卒業後、野沢こけしの製作者井上義治の長女ゆき子と結婚し、婿養子となった。結婚後、喜多方市大道田において新型こけしの… 続きを読む

照井音治

〔人物〕明治18年12月5日、岩手県稗貫郡湯口付下志沢の農業照井奥太郎の長男に生まれた。 明治21年、音治の父奥太郎は3歳の音治をつれて芸妓と駈け落ちし、宮城県青根温泉へ行って旅館佐藤仁右衛門の番頭となった〈こけし手帖・… 続きを読む

佐藤正一

〔人物〕  明治38年3月30目、福島県信夫郡庭塚村の農業佐藤善四郎・米子の次男に生まれる。大正7年3月庭塚尋常小学校卒業。太治郎の次女のきみと結婚し、土湯の会津屋に勤務した。昭和5、6年ころ土湯に土産物店を開… 続きを読む

鈴木幸之助

〔人物〕明治21年1月21日(旧暦明治20年12月9日)、宮城県柴田郡川崎村(現川崎町)笹谷の農家に生まれた(戸籍上は3月21日生)。6歳のとき、母の実家、青根の旅館業佐藤重太郎の養子となった。 明治38年に青根の佐藤重… 続きを読む

添川一

〔人物〕大正9年8月7日、東置賜郡高畠町中和田の農業添川貞太郎の長男に生まれた。昭和25年より米沢市仲町のこけし工人小林友次の弟子となりこけしの描彩を学んだ。 ただ軍隊時代に患っていた関節リュウマチが再発したので木地は挽… 続きを読む

相川忠次郎

肘折近在の出身で、明治40年ころ横山政五郎と同時期に佐藤周助の弟子となった。詳細は不明。〈こけし辞典〉で白鳥正明は「横山忠次郎と同一人かも知れない」としている。 出典は、肘折を最初に詳しく調査した加賀山昇次が〈こけしの郷… 続きを読む

安藤勇

〔人物〕  昭和9年3月7日、白石市越河の船員安藤勇一の長男に生まれる。学校卒業後、白石にて新型こけしの業者について技術を習得、新型木地の製作を行った。昭和26年より遠刈田の大沼昇治とともに、越河に木工所を設立し、二段ベ… 続きを読む

赤物

赤物というのは赤い染料を使った玩具や土産物のこと。木製玩具、土人形、張子などでも広くこの呼称は使われた。 赤は疱瘡(天然痘)から守るといってこの赤物を喜んで買い求め、子供のもてあそび物にした。赤物玩具を作る人のことも、赤… 続きを読む

小室由一

〔人物〕 昭和12年4月10日、商業小室由吉の長男に生れる。由一の母は、遠刈田の佐藤英太郎の母と姉妹という。昭和31年20歳の時、遠刈田の佐藤好秋について木地を学び、好秋の下で6年間修業を積んだ。兄弟弟子に大宮正男、今野… 続きを読む