〔人物〕昭和7年12月27日、鳴子のこけし工人桜井万之丞、コウの二男に生まれる。昭和20年3月鳴子尋常小学校を卒業し、父万之丞について木地の修業を開始した。昭和22年頃より、こけしの製作も行うようになったが、実名義のこけ… 続きを読む
荒川洋一
〔人物〕 昭和13年11月13日開拓農家荒川清作の長男として、会津若松市湊町大字共和字下馬渡に生まれる。その後、父が横浜に出て日本鋼管で働き、また茨城の五浦の近くに移っていわし船で働いたので、洋一も父について各地を転々と… 続きを読む
大沼甚五郎
鳴子大沼甚五郎は岩太郎の父の甚五郎と、その甚五郎の孫にあたる甚五郎がいる。ここでは後者の甚五郎について記述する。 先代甚五郎の次男大沼甚三郎には長男岩蔵、以下甚四郎、甚五郎、万之丞、健三郎の子供がいた。 三男甚五郎は、明… 続きを読む
蔦文男(1)
〔人物〕大正9年2月13日、山形県南置賜郡玉庭村字大舟の青木盛二男に生まれる。父盛の妹つぎゑは小野川の蔦作蔵に嫁いでいたが、作蔵・つぎゑ夫妻の間には子供が生まれなかったので、昭和5年に文男がその養子となった。また昭和9年… 続きを読む
高橋まさの
明治25年2月13日、宮城県玉造郡鳴子町湯元の高橋亀三郎、のつの長女に生まれた。深沢要の聞き書きによると、兄武蔵の木地などに描彩を行い、非常に上手であったという〈こけしの追求〉。 横谷家に嫁した。昭和22年12月2日没、… 続きを読む
大沼健伍
〔人物〕 昭和12年2月15日、宮城県鳴子の木地業大沼健三郎の長男に生まれる。鳴子中学校卒業後、菊地某という新型こけし作家の描彩を行った。昭和30年19歳の時、父健三郎について木地を学び、こけしの製作も始めた。その後、一… 続きを読む
木村吉太郎
〔人物〕明治29年10月7日、茅葺職人木村春吉、さつの三男として、山形県南村山郡上ノ山町御井戸町に生まれた。たまたま荒井金七の家が春吉の家の前にあった縁で、明治45年3月、17歳のときに荒井金七に弟子入りし、大正6年、2… 続きを読む
小椋久四郎
〔人物〕明治11年7月19日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向二五六の木地業小椋徳右衛門・マサの四男に生まる。母マサは小椋勇右衛門の妹である。亀治、庄太郎、米蔵は兄、石蔵は弟である。姉カネは塗師小野寺梅太郎の嫁となった。木地は父徳… 続きを読む
古緒里民芸店
昭和21年より昭和43年まで、福岡市薬院昭和通62にあった郡憲輔経営による民芸店。民芸品と郷土玩具やこけしを扱った。憲輔の先代から続く郡文園堂古書店(福岡市橋口町)内に昭和9年より、新たに玩具やこけしをならべて販売したの… 続きを読む
浅虫
青森県青森市浅虫。東北地方で有名な温泉地の一つ。東北本線浅虫駅下車。一方を海に面し、三方を山に囲まれているため、木地業も盛んに行なわれた。最も吉いこけし作者と伝えられるのは、温 湯の斎藤宰兵衛の祖父の姉に婿養子として入っ… 続きを読む