
〔人物〕 昭和11年1月22日遠刈田温泉、小笠原久作二男に生まれる。生まれた家は遠刈田新地に向かう橋の手前左側で、寿町の通称六軒長屋とよばれ、隣家には佐藤豊治とその息子たち、三蔵・里見が住んでいた。中学校を卒業後、郵便局… 続きを読む
〔人物〕 昭和11年1月22日遠刈田温泉、小笠原久作二男に生まれる。生まれた家は遠刈田新地に向かう橋の手前左側で、寿町の通称六軒長屋とよばれ、隣家には佐藤豊治とその息子たち、三蔵・里見が住んでいた。中学校を卒業後、郵便局… 続きを読む
〔人物〕昭和7年5月8日、宮城県柴田郡川崎町青根の木炭製造業我妻市三郎、せよの六男に生まれる、我妻市助は長兄にあたるが、昭和16年に海軍に入隊し昭和19年6月1日戦死した。 昭和21年尋常高等小学校を卒業後、兄市助の師で… 続きを読む
〔人物〕 昭和19年12月16日、岩手県宮古市末広町の木地業坂下隆蔵、テツの4人兄弟の次男に生まれる。長男に秀雄がいたが木地を業とする気持ちはなく、隆蔵は次男の隆男に木地の修業を勧めた。ただ隆蔵は戦後間もなく木工所で親… 続きを読む
〔人物〕 明治38年4月20日、秋田県川連大館八右衛門屋敷の佐藤留治、よしのの長男に生まれる。父の留治は椀挽き専門の木地師であったがこけし作者ではない。母よしのは小椋養治の長女で、小椋泰一郎の妹にあたる。 大正6年13歳… 続きを読む
明治34年、遠刈田温泉に生まれる。家業は飲食店経営であった。孫一は尋常小学校卒業後、大正4年ごろ遠刈田新地の佐藤吉郎平に弟子入りし、大正11年ごろ年期明けした。遠刈田で独立開業して、こけしも若干挽いたが確認できる作品は残… 続きを読む
〔人物〕 明治24年1月14日、鳴子字西原の農業上埜平治、さ登の六男として生まれた。明治40年17歳のとき、鳴子の高橋万五郎の弟子となった。明治41年、鳴子を離れて兄弟子伊藤松三郎と共に鉛に移った。師匠万五郎は他の弟子と… 続きを読む
〔人物〕大正11年6月19日、工藤多吉の次男に生まれる。昭和12年16歳の時、鳴子の岡崎斉吉の工場に入って木地を学んだ。当時この工場には本間留五郎や後藤希三がおり、また兄弟子として鎌田次男、佐藤清、大場正男などがいた。斉… 続きを読む
〔人物〕昭和7年6月24日生まれ。福島市の小幡福松の長男敏夫に嫁いだ。義母の小幡チヨ、義姉の初子、夫の敏夫の指導でこけしの描彩を学んだ。戦後の小幡福松名義のこけしには奈津子の描彩のものが多い。昭和43年に義父の福松が亡く… 続きを読む
〔人物〕大正14年9月1日、高橋忠蔵、ミンの次男として、福島県相馬郡原ノ町に生まる。高橋佳隆に嫁いだ昌子は妹である。昭和15年、16歳のとき宮城県遠刈田温泉の北岡商店に徒弟として入る。当時、北岡の職人をしていた佐藤豊治に… 続きを読む
明治29年8月25日 、渋沢篤二と敦子夫妻の長男として東京深川に生まれた。祖父は「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一。敬三も第一銀行副頭取を務めた後、日本銀行に移り、昭和19年に第16代の日本銀行総裁となった。 実業界… 続きを読む