大沼健三郎

〔人物〕 明治27年2月1日、鳴子の木地業大沼甚三郎の五男として生まれる。大沼岩蔵、甚四郎、甚五郎、万之丞は兄にあたる。明治42年高等小学校を途中でやめ、父甚三郎、兄甚五郎について木地を修得した。兵役除隊後は仙台サクラ商… 続きを読む

佐藤伝内

〔人物〕 明治14年5月23日、弥治郎に生まる。農業木地業佐藤栄治・ふよの長男、勘内、五月の兄に当たる。戸籍表記は傳内である。東吉、栄治ゆずりの下屋敷は当時弥治郎一の分限者で、田畑4、5町歩、山林20余町歩、当時1年間の… 続きを読む

我妻定男

〔人物〕昭和15年11月3日、宮城県仙台の農業我妻留三郎の四男に生まれる。昭和30年16歳より、仙台の我妻吉助に師事して木地の修業を行い、昭和38年に年期明けとなった。その後も継続して吉助方の職人を勤めたが、昭和50年1… 続きを読む

平賀謙蔵

〔人物〕 明治20年9月10日、平賀太五郎・ウタの長男に生まれる。父太五郎は岩手県稗貫郡湯口村根子の出身、文献によって太五郎を多五郎とするものがあるが、戸籍上は太五郎であり万延元年9月12日生まれ、その父は平賀徳助、母は… 続きを読む

里見正博

〔人物〕 昭和23年11月4日、宮城県仙台市原町南目町のこけし工人里見正雄の長男に生まれた。昭和42年高等学校を卒業、昭和43年一家は宮城県仙台市青葉区芋沢に新居と工場を建てて転居した、正博は一時会社員勤めをして家から離… 続きを読む

小椋泰一郎

〔人物〕明治22年4月20日、秋田県雄勝郡高松村120(水上沢木地山)小椋養治、カヤの長男に生まれる。父養治は小椋勇右衛門の長男で、代々初右衛門を名乗った。カヤは小椋利左衛門(吉左衛門の長男)の長女であり、カヤの母ナツは… 続きを読む

鎌先商い

弥治郎の木地屋の女房は製品を風呂敷に入れて背負い、鎌先の旅館で部屋を廻って湯治客に直接売っていた。これを鎌先商いという。 菅野新一は、鎌先商いの様子を次のように記述している。 「弥治郎の女房の仕事というと、なんといっても… 続きを読む

北山真由美

〔人物〕 昭和53年1月8日、青森県黒石市浅瀬石の北山盛治の長女に生まれる。裕美は次妹。平成15年より木地の修業を始め、平成16年4月からこけしの製作を始めた。 平成20年ころまでは盛んに作り、注文にも誠実に応えていた。… 続きを読む

深見喜三

明治10年ころ宮城県栗原郡一迫町川口の農家に生まる。深沢要著〈こけしの追求〉の鳴子高橋万五郎の項にその名がある。万五郎の最も古い弟子と言われる。後に釜石へ行き、鋳物の型を挽いたこともある。脚気になって鳴子へ戻り、その後故… 続きを読む

佐藤盛昭

山形県最上郡及位に木地工場を経営した人。盛昭本人が木地を挽いたか、あるいは経営にだけ携わった人かはっきりしない。明治35年に盛昭が肘折に行ったときに佐藤文六の仕事を見て、その木地の技術に強く惹かれて文六を自分の工場へ招聘… 続きを読む