国分惣作

明治14年10月21日、宮城県刈田郡福岡村字本154の国分寅吉、とめの長男として生まれた。明治22、3年頃、新山栄五郎が弥治郎で独立して初めて雇用した弟子の一人となった。こけしを製作したかどうかは不明であるが、惣作が弟子… 続きを読む

古関菊一

秋田県稲川町大館の蒔絵師。腕はよく大館では町一番の蒔絵師と言われた。 大館の小椋正治のこけしのうち特製上手物の描彩は菊一が行っていたという。〈鴻・6〉によると昭和14,5年ころ、描き賃は一般に3銭くらいであったが、菊一の… 続きを読む

小山今朝記

〔人物〕昭和15年3月25日、宮城県加美郡小野田町鹿ノ原の農業小山忠次郎・ますのの三男に生まれる、昭和31年3月東小野田中学校卒業、昭和34年12月より鳴子大沼力の弟子となり、昭和36年8月まで木地業に従事しこけしも製作… 続きを読む

岡崎直志

〔人物〕 明治44年7月1日、山形県西村山郡西川町の宿坊経営叶直家・雅代の次男に生まれる。叶家は出羽三山の参詣客の宿坊を営んでいた。大正15年高等小学校卒業後食料品卸商に勤めたが、昭和7年に入隊兵役、10年に除隊した。昭… 続きを読む

佐藤敬弥

明治26年、福島県伊達郡小国村で生まれた。高橋忠蔵の遠縁の人で飯坂鯖湖の渡辺角治の弟子となった。3年間〈土湯木でこ考〉、または7年間〈こけし木地師の周辺双書・2〉弟子として修業につとめたが、忠蔵より1年後、大正8年に辞め… 続きを読む

古関福太郎

山形県肘折近辺の出身で肘折で木地を挽いた人。〈こけしの郷愁・7〉によれば大沼新兵衛が佐藤周助の下で働いていた頃(明治35年頃)すでに年期を終えて職人として働いていたという。地味で堅実な人であったらしい。佐藤周助の息子佐藤… 続きを読む

大沼秀顯

〔人物〕 昭和31年5月20日、宮城県玉造郡鳴子町湯元のこけし工人大沼秀雄、百合子の長男として鳴子に生まれる。昭和50年県立古川高校を卒業し、同年4月より父秀雄について木地修業を開始した。昭和57年のこけしまつりに初めて… 続きを読む

佐藤今朝吉

〔人物〕 昭和5年3月1日、下駄製造業佐藤惣太郎次男として遠刈田温泉に生まる。昭和18年、尋常高等小学校卒業と共に、徴用されて東京の工場で働き、終戦とともに帰郷した。家業の下駄屋の職人をしていたが、新型こけしのブームとな… 続きを読む

木村吉一

〔人物〕昭和26年7月12日山形県上山市のこけし工人木村祐助の長男に生まれた。木村吉太郎は祖父にあたる。昭和42年高等学校 在学中より、父祐助のロクロに上がって木地挽きの練習をした。 卒業後は牛乳販売店の経営の… 続きを読む

阿保六知秀

阿保六知秀

〔人物〕昭和25年4月14日、青森県黒石市大字花巻に生まれる。 現在も同所で阿保こけしやを構え、息子の正文とともに、こけしや干支人形などを製作する。 昭和40年黒石市東英中学校3年の時に佐藤善二が指導するこけしクラブに入… 続きを読む