小野寺鉄蔵

山形県最上郡金山町の人。大正7年山形県の木地講習会が金山で開催され、鉄蔵の家が会場になった。この講習会には佐藤三治、菅原富蔵も参加した。金山は及位の隣の町であり、おそらく三治、富蔵は及位から指導に参加したのであろう。 ま… 続きを読む

宮本惣内

陸中国磐井郡山目村にて文政6年9月6日に生まれた。父は宮本惣三郎。妻リサは宮城県志田郡田尻の生まれ。惣内、リサには長男惣蔵、二男惣七がいる。惣七の妻は山目の鈴木キン三女ナツである。惣七、ナツの間には永吉、永七、栄三がいた… 続きを読む

こけしのアルケオロジー

「アルケオロジー(archéologie)」とは本来「考古学」を意味するフランス語。ただフランスの哲学者ミシェル・フーコーが「知の考古学」などで「アルケオロジー」という言葉を使いだしてから、すこし特別の使われ方をするよう… 続きを読む

岡村豊太郎

〔人物〕 明治41年4月17日山形県西田川郡大山町鍛治町の木地業、岡村豊作長男として生まれる。尋常小学校卒業後に北海道函館市へ行き加藤龍初につきダライバンを習う。函館時代は、カムチャッカでのサケ、マス漁の木浮を桐材で盛ん… 続きを読む

小林倉治

〔人物〕弘化2年11月23日、山形市旅籠町の紅屋清蔵の二男としてに生まれる。実家は本来小林姓であったが旧城主最上家と因縁のある小林姓は使いづらく、屋号で名乗っていたらしい。祖父は塩肴漬物商で鹽屋、父清蔵は紅花商を営み、紅… 続きを読む

阿部治助(熊治郎長男)

〔人物〕   明治18年9月23日、福島県信夫郡土湯村字下ノ町19番地(現在の土湯温泉町)の木地業阿部熊治郎、コヨの長男に生まれる。タツ、キク、サツ、タヨの姉があり治助は第5子にあたる。弟に平治、新次郎がいたが… 続きを読む

小幡奈津子

〔人物〕昭和7年6月24日生まれ。福島市の小幡福松の長男敏夫に嫁いだ。義母の小幡チヨ、義姉の初子、夫の敏夫の指導でこけしの描彩を学んだ。戦後の小幡福松名義のこけしには奈津子の描彩のものが多い。昭和43年に義父の福松が亡く… 続きを読む

安藤勇

〔人物〕  昭和9年3月7日、白石市越河の船員安藤勇一の長男に生まれる。学校卒業後、白石にて新型こけしの業者について技術を習得、新型木地の製作を行った。昭和26年より遠刈田の大沼昇治とともに、越河に木工所を設立し、二段ベ… 続きを読む

石山健一

〔人物〕昭和21年7月26日、山形県山寺の石山三四郎、きくの長男に生まれる。石山和夫は叔父にあたる。昭和37年中学校を卒業後、国立職業訓練所に入り、そのまま同所の溶接工場に勤めた。退所後一時上京して働いたが、間もなく山形… 続きを読む

西山徳二

〔人物〕  大正5年5月8日福島県信夫郡土湯の農業西山源助、アキの二男に生まれる。七男四女の兄弟姉妹がいた。後にこけしも作った西山敬三は次弟三男である。14歳で荒井村の尋常高等小学校を卒業後、実家の農業を手伝い、また炭焼… 続きを読む