小林栄蔵

〔人物〕明治40年1月20日、山形市旅籠町も木地業小林倉吉五男として山形市旅籠町に生まる。長兄は清蔵。明治44年の山形北の大火によって焼け出され、一家は揃って六日町の新築西通りに移った。大正9年高等小学校に在学中から父倉… 続きを読む

小林昭三

〔人物〕 昭和17年3月1日、岩手県和賀郡湯田町湯田の木地業小林善作の三男に生まれる。学生時代より、父善作のこけし製作を見て、こけしの描彩を始め、また木地も学んだ。早稲田大学を卒業後、昭和42年3月に岩手日報社に入社した… 続きを読む

伊藤宏美

〔人物〕昭和33年5月6日、宮城県玉造郡鳴子町沼井の伊藤松一の三男に生まれる。長兄に一美がいる。祖父松三郎、父松一のもとで育ち、若い頃からロクロに親しんだ。木地は若い頃より挽いたが、昭和52年ころからこけしの木地を挽き、… 続きを読む

遠藤幸三

〔人物〕 明治44年1月5日、山形市滝山村上桜田の農業遠藤源六の四男に生まれる。父の源六は農業の傍ら、村役場の書記も勤めていた。 そのころ蔵王高湯の土産物店主であった万屋斉藤藤右衛門(藤助)が木地師吉田仁一郎を伴ってしば… 続きを読む

佐藤文吉(遠刈田)

天保10年3月5日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤円吉二男に生まれた。修業は二人挽で父円吉より習ったと思われる。茂吉家の祖佐藤千代吉の養子となり、久吉家からきたとらと結婚した。その関係で明治6年より同9年まで久吉を弟子とし… 続きを読む

石川美祈子

〔人物〕昭和54年6月20日、青森県弘前市の牧師石川敞一、康子の次女に生まれる。三姉妹の真ん中である。子供の頃より工作等、物作りが好きであった。学校卒業後、東京に就職し働いていたが平成23年夏、「こけし時代」(創刊号)の… 続きを読む

高崎祐一

〔人物〕昭和8年9月11日、山形県米沢市のこけし工人高崎栄一郎の長男に生まれた。昭和24年米沢第一中学校を卒業し、直ちに父の栄一郎について木地を学んだ。その後一年間は夜間高校に通った。昭和32年佐藤芳美の次女美和子と結婚… 続きを読む

小関晴雄

〔人物〕大正14年8月17日、山形県米沢市竹井に生まれる。父は農業、炭焼業の小関清吉。こけし工人小関幸雄は長兄である。兄の幸雄について木地を修業しこけしの製作も行ったが、弥治郎新山福太郎の流れを汲む兄幸雄の方ではなく、小… 続きを読む

高瀬善治

〔人物〕明治33年6月13日、高瀬惣左衛門、ミエの四男として、青森県上北郡十和田村大字奥瀬字十和田一六(休屋)に生まれる。〈こけしガイド〉によれば大正5年(推定)17歳のとき、小林弥七より木地を修業、こけしも習ったという… 続きを読む

荒井雅雄

〔人物〕生年月日出身地など不明。もともと図案等のデザインを手掛けており、山形市香澄町で荒井図案社を経営していた。各種木地製品を製作販売し、大正3年東京上野で開催された大正博覧会の出品者には「山形市香澄町 荒井雅雄」の名が… 続きを読む