
〔人物〕 昭和31年4月6日、米沢市白布温泉新山慶美の次男に生まれる。中学在学中より父慶美より木地を習い、15歳ころよりこけしも作るようになった。ただし、市販などはおこなわれず高校卒業後は別の仕事に就いて、市内笹野へ転居… 続きを読む
〔人物〕 昭和31年4月6日、米沢市白布温泉新山慶美の次男に生まれる。中学在学中より父慶美より木地を習い、15歳ころよりこけしも作るようになった。ただし、市販などはおこなわれず高校卒業後は別の仕事に就いて、市内笹野へ転居… 続きを読む
〔人物〕 昭和8年1月30日、岩手県和賀郡湯田町の鉱員神成三五郎・サダの長男に生まれた。本名は定夫、こけし工人としては定雄を名乗る。昭和23年3月新制中学校を卒業すると横黒線(現在の北上線)大荒沢駅前の大荒沢郵便局に勤務… 続きを読む
〔人物〕 明治39年9月10日、佐久間常松、ミノの二男として土湯下ノ町に生まれた。父常松は湊屋佐久間浅之助の三男、浅之助ゆずりのデコをよく描き、凧絵も得意であった。湊屋離散とともに明治39年11月北海道開拓民として家族を… 続きを読む
〔人物〕昭和21年7月26日、山形県山寺の石山三四郎、きくの長男に生まれる。石山和夫は叔父にあたる。昭和37年中学校を卒業後、国立職業訓練所に入り、そのまま同所の溶接工場に勤めた。退所後一時上京して働いたが、間もなく山形… 続きを読む
〔人物〕昭和23年3月31日生まれ。山形県米沢市小野川温泉のこけし工人岡崎昭一の妻女。 昭和53年頃より、夫の昭一よりこけしの描彩を教わった。昭一木地に描彩を行って、せつ子名義のこけしを発表した。平成に入って昭一と離婚し… 続きを読む
〔人物〕 昭和23年12月26日、宮城県刈田郡福岡村八宮字弥治郎の農業佐藤朝治の長男に生まれる。佐藤伝内のひ孫にあたる。白石市立福岡中学校卒業後、主に自家で農業に従事していた。伝内の三男佐藤伝喜より木地継承を勧められたこ… 続きを読む
鳴子のこけし工人大沼新兵衛は通称を要という。新兵衛の長兄は戸籍名を要、通称を誠という。兄の方の要(誠)は大沼平三郎、そめの長男で、明治13年1月25日鳴子に生まれた。大沼岩太郎について木地を修業した。昭和9年12月26日… 続きを読む
昭和13年6月5日生まれ。昭和35年から宮城県玉造郡鳴子町の秋山忠市に師事して木地の修業を行った。昭和59年に師の忠市が亡くなってからは、後を継いだ忠男を援けて職人として働いた。木地のみで描彩は行わず、昭司の作品は確認さ… 続きを読む
福島市荒井字寺屋敷にある白山寺は、「大竹子育地蔵尊」として知られる。ここに収められている多数の木彫りの地蔵尊は、形態がこけしに通じるものがあり、こけしの前駆的な存在であろうという人もいる。ただし、こけしとの関連を示す確実… 続きを読む
〔人物〕明治20年3月1日、旅館業小林鉄五郎、フテの次男として岩手県和賀郡湯田町に生まれた。山仕事や鉱山師を本業としていたが、湯田で木工業を起こすことを考え、大正10年和賀郡木地伝習所を設立、遠刈田新地出身の佐藤丑蔵を木… 続きを読む